2010年01月12日

反ナチ闘士Freya von Moltke伯爵夫人逝去

反ナチ闘士Helmut James von Moltke 伯爵の未亡人は
98歳で2010年1月1日にアメリカ・バーモントで亡く
なった。夫は1945年に処刑された。
ナチへの抵抗グループ「クライザウア・クライゼス」
の名は 今はポーランドでKrzyzowaと呼ばれる町、
当時はKreisauと言われた町にある同家の城から由来する。
その城で1942年から43年まで グループの会合が行われた。
クライザウにある同家の財産に基づいて1942年に上記の
グループが設立された。会合では ヒットラー独裁の
後のドイツ復興について討議された。多くの会員は
処刑された。
夫が処刑された後、1944年にフレーヤ・フォン・
モルトケは二人の息子を共に亡命し、後に南アフリカ
に移住した。1960年にアメリカ・バーモント在住の
パートナー・文化哲学者 Eugen Rosenstock-Huessy
のもとに引越した。バーモントで 第二次大戦中の
抵抗運動について いくつかの本を書いた。
高齢になっても、欧州における平和共存に尽力した。
モルトケ家の城は 鉄のカーテンの消滅後に ドイツ・
ポーランド両国政府によって 両国の和解のための
記念礼拝の場として選ばれた。
城は欧州統合の促進に寄与するために 青少年センター
や会議場として利用されている。
フレーヤ・フォン・モルトケ財団はこれらの目的を
達成することを使命としている。
下記サイトから:
http://www.tagesschau.de/ausland/nachrufvonmoltke100.html




  


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2010年01月11日

ポルトガル・同性愛結婚を承認へ

近いうちにポルトガルで同性愛結婚が可能になる。
社会主義の与党は同性愛者の結婚の権利を提案し、国会はこれを承認した。
同性愛結婚した人に 養子を迎える権利を与えるという法案は否決された。
同性愛同士の結婚する権利を「自由、公平、平等、人道主義の名のもとに」首相ホセ・ソクラテスは弁護した。
「人道主義者は他人が過小評価されるのを見て、自分が過小評価されているように感じ、他人が排除されているのを見て、自分も排除されているように感じ、他人が自由を剥奪されているのを見て、自分の自由が制約されていると感じる」 これが人道主義者の特異性であると 首相は述べた。
同性愛は1982年までポルトガルでは犯罪行為だった。
ポルトガルはカトリック信者の多い国だが、カトリック教会は この立法に 巻き込まれたくないという意向だ。
2001年に オランダが初めて同性結婚について 従来の結婚と同じ扱いをした。ベルギー、ニュージーランド、カナダ、スペインがこれに続いた。ドイツや他の国では 同性愛結婚について 従来の結婚と 部分的に同じ扱いをしている。ドイツでは 同性愛結婚を「登録した生活のパートナーの関係」と言う。
下記サイトから:
http://www.n-tv.de/politik/Portugal-fuehrt-Homo-Ehe-ein-article671313.html  


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2010年01月10日

村の新しい食料品店inドイツ

「エマおばさんの店」(昔風の店)復活。
村の小規模スーパー「ノーソン」ドイツ版。

アウグスブルクの南30キロにあるHurlach村は 
人口1650人しかないので、チェーン店はない。そこに
2年前に「村の店」ができた。数キロ離れた所に
スーパーはあるが、そこには地元でゼーレと呼ばれる
パンはない。
村の店は 1950年代にあっただけで、今は機能しない
と思われているが、年々新しい店が生まれている。
Hurlachの店は 市民協同組合が所有する。
バイエルン州だけでも約80の小さい店がある。新しい
木の香りとパンとコーヒーの匂いのする店だ。ホコリ
まみれの個人商店とは違い、ミニスーパーと屋台を
一緒にしたようなものだ。
フランケン地方の ある村長は まもなく廃業する 
村でたった一軒の店のことを話した。別の村長の言う
ことには、オーバーバイエルンのFuchstalで30年前に
店が廃業してから 老人の集まる場は墓地だけに
なった。問題は 買い物ができるか どうかでは
ない。店のない村に生活はなくなる。村長は死んだ
村の世話をしたくない。

そこで 村長は経営コンサルタント Wolfgang Groellの
セミナーに参加した。グレールは「村の店」を専門に
するドイツで唯一人のコンサルタントだ。
Harthausen村は人口870人、ミュンヘンの南にある。
4年前に肉屋が廃業し、ガムと煙草の自販機がある
だけだった。その村に80平方メーターの店ができた。
元の消防署の建物が店になった。
19世紀に村人は協同組合銀行を作った。職人や商人は
購入組合を作り、労働者は消費協同組合を作った。
協組運動は初期資本主義の厳しさへの対応だった。
今、村では協組が復活している。ドイツの協同組合法
は1868年にさかのぼる。
Harthausenの村の店も協組の所有だ。村人は一人200
ユーロを出資している。出資金は 棚、冷蔵室、機器、
食品の仕入れに当てられた。しかし 村人の無償の
労働なしに、村の店はできなかったろう。職人は
棚を作り、左官や画家も働いた。
村に店ができると 多くの高齢者が自立を取り戻した。
ハルトハウゼン村の店にも89歳の女性が店に来て、
何年ぶりかに買い物をした。
村の店では 昔 働いた主婦が半日 働き、月給400
ユーロになる。時給は約6ユーロで 最低賃金に
満たない。
Sibylleは 昔 ハルトハウゼン村に引越してきた時に 
肉屋で新しい友達ができた。ヨハンナは 家から遠く
ない所で 昔 修業した花屋として働けるのは 
楽しい。

アンドレアはGeltingの村の店の店長をしていて、
月給800ユーロ。昔 大学を働いて卒業した経験が
生きている。経済活動のもつ 社会的・文化的側面が
衰えていないと言うことが 協同組合活動を見ると 
分かる。

Hurtlachの村の店協同組合の 理事長は 59歳。
航空管制官だった。十分な年金があるから 自分の
収入を増やす必要はない。しかし この店は 経済
危機にも拘わらず 売り上げも利益も増えている。
理事長は大きいチェーン店にない自由を大事だと
思っている。たとえば 11月下旬にチョコケートの
聖ニコラウスを置いたりするのも楽しみだ。
下記サイトから:
http://www.faz.net/s/RubEC1ACFE1EE274C81BCD3621EF555C83C/Doc~E7670C76BD8214F5999B9F014EE9D1F82~ATpl~Ecommon~Scontent.html

  


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2010年01月09日

スターバックスはメキシコ政府に補償支払い

スタバはアステカ文明に敬意を表せず、アステカ文明
の遺した画像をコーヒーカップに使ったために
紛争が起きた。紛争を鎮めるために スタバは
メキシコ政府に補償金の支払いを申し出た。
コーヒー茶碗には アステカ暦にある図が 
描かれていた。図の使用許可申請は出されて
いなかった。
スタバは問題のコーヒーカップを回収した。
図の権利は 国立考古学・歴史学研究所(INAH)にある。
下記サイトから:
http://www.n-tv.de/wirtschaft/Starbucks-entschaedigt-Mexiko-article670420.html 
  


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2010年01月08日

コーヒー店での大麻売買は存続inオランダ

オランダでは 大麻を飼うのに コーヒーショップ
に入るために 会員証を提示する必要は 当分の間
ないことになった。
ベルギー国境のマーストリッヒなどの8都市では 
2010年1月から 規制強化をする予定だったが、
中止になった。これらの市は 国境の町にある大麻を
売るコーヒー店に会員証のある人だけが 入れるよう
にする方針だった。コーヒー店を非公開にして、
麻薬観光旅行に歯止めをかけるはずだった。
下記サイトから:
http://www.n-tv.de/panorama/Coffeeshops-bleiben-Coffeeshops-article663968.html  


Posted by jtw at 13:29Comments(0)

2010年01月08日

厳冬のホームレス・犬と一緒にinドイツ

下記サイトに 雪の中で犬と共にテント生活する
人たちの動画:
http://www.tagesschau.de/inland/obdachlose108.html

零下10度以下になると ホームレスは生命の危険に
さらされる。少なくとも9人のホームレスがこの冬に
寒さで死んだ。大半の死者は小さい町の人だった。  


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2010年01月07日

チェコの麻薬法ゆるくなる

ハッシッシやコカインについて、2010年1月1日からチェコで 欧州の中では屈指の寛容な麻薬法が施行される。
しかしマリフアナとコカインの大幅な自由化に批判もある。
チェコは長い間、寛容な麻薬政策で知られていた。
今回の法改正により、自分で使うためなら ある程度の量のハッシッシやマリフアナは許される。もっと強い麻薬については、エクスタシー4錠、LSD4錠、1グラムのコカイン、0.5グラムのヘロイン(これはオランダの場合の3倍の量)が許される。
自由化の論拠は、薬物嗜好は犯罪の問題でなく、健康の問題であるということだ。マリフアナを例にとると、製造は今も犯罪であるが、所有は 限度内であれば 犯罪でない。自由化はディーラーには当てはまらない。
20年前に 支援組織 Drop-Inを設立した 心理士Ivan Doudeは 新しい規制は 間違えた方向に向かっていると言う:「警察は麻薬市場を効果的に規制する機会を持たないので 麻薬政策の出費は 予防に集中することが大切になるだろう。しかし実際は 啓発と予防のために チェコは オランダの出費と比べ、ごく僅かしか出費していない」

プラハの旧市街地にあるDrop-Inに 毎日 早朝から若い薬物依存症者が集まる。ボランティアが 茶、スープ、ビタミン剤、清潔な注射器を配る。

まもなく若い人がプラハに群れをなして やってきて、
マリフアナを吸い、他の薬物を使うだろう。なぜならチェコの隣国 ドイツ、スロバキア、ハンガリー、ポーランドで 規制は はるかに厳しいからだ。
2009年にプラハへの旅行者は最少だった。アムステルダムのような活気を チェコの観光業界は 呈するのだろうか。
下記サイトから:
http://www.tagesschau.de/ausland/tschechien186.html



  


Posted by jtw at 17:16Comments(0)

2010年01月06日

薬物依存症者inサンパウロ

下記サイトに写真10枚:
http://www.zeit.de/politik/ausland/2009-12/bg-crack-sao-paolo-2

写真1. クラッコランディアと呼ばれる旧市街地域。
クラック(高純度の結晶状コカイン)から名づけられた。
ここに依存症者が沢山いる。
2. 60年代から依存症者がここに住み着いている。
子どもも多い。麻薬と無縁の人はこの地区に近づかない。
クラック依存症者は しばしば精神的・肉体的に衰弱する。
3. クラックを吸うと呼吸器が損なわれる。肺出血を
伴う高熱と血液中の酸素不足のため「クラック肺」
という状態になる。
4.クラックは小さい粒で、加熱すると パチッと音が
する。それでcrack「音をたてて割れる」と呼ばれる。
5. 妊娠中のクラック依存症者。クラック依存症者
から生まれた新生児は禁断症状を呈する。クラックを
吸うと数秒後に効く。クラックは高度の精神的病的
依存を引き起こすことがある。
6. クラックは吸うと多幸感をもたらす。しかし
数分後に空虚感が襲ってくる。この両極端の間を 
揺れ動くことが 精神的変調をもたらす。
7. クラックを吸うことにより 身体は弱り、重い
感染症にかかりやすくなる。
8. サンパウロは人口約2000万人貧富の差は大きい。
若いクラック依存症者の大半は この社会の最も
悲惨な人々だ。
9. クラックは80年代にアメリカ合衆国に広まり、
90年代にラテンアメリカのゲットーに入った。その
うちに安い麻薬 パコpacoのようなのが 入って
きた。パコはコカイン製造の過程で生じる廃棄物だ。
10. パコはアルゼンチンの貧民地区から始まった。
クラックと同じ作用がある。そして 依存症者の肉体
と人格を もっと速く破壊する。  


Posted by jtw at 17:40Comments(0)

2010年01月05日

忘れるための訓練

恐ろしい経験は しばしば記憶に深く焼きつけられる。
薬なしで記憶を消すことに 英国の研究者は成功した。
苦痛に満ちた記憶は 脳の中を駆け巡る。
簡単な訓練プログラムによって 不快な記憶を忘れられる。
恐ろしい記憶を 中立的な情報によって書き換える
ために、まず恐ろしい経験を呼び起こす。
人間の記憶は 変更できない固定された記憶プログラム
ではない。記憶は定期的に活性化されていて、新しく
蓄積される前に、その実際的な意義に照らして、
再検討される。そのような「更新」の間に
記憶は変化する。

実験では モニター画面に様々な色の正方形が
示される。ある特定の色を見た時に被験者は 小さい
電気ショックを与えられる。いくらか時間がたつと、
被験者は色の正方形を見ただけで、電気ショックが
なくても 恐怖で反応する。
次の日に被験者は正方形を見せられるが電気ショック
は与えられない。そこで 正方形は無害だという
ことを被験者は学習する。次の日になると、被験者は
正方形に中立的な反応を示し、苦痛の記憶は消えている。
下記サイトから:
http://www.sueddeutsche.de/wissen/899/497207/text/

★ブログ管理人の蛇足:
児童養護施設に居たことのある人は 忘れたいこと
が多いそうなので、この記事を読んでみましたが、
どうも実用性は まだ ないようです。ともかく 
学者は忘れることを 研究してくれているのは 
有難いです。  


Posted by jtw at 19:17Comments(0)

2010年01月04日

数千の野鳥が毒殺されるinアフリカ

鳥類保護団体「BirdLife International」によると農薬 
Carbofuranによって 毎月 数千の野鳥がアフリカで
毒殺されている。
ケニアでは この方法で野鳥が食用に殺されている。
ボツアナでは 密猟者がハゲタカを毒殺している。
上空を旋回するハゲタカは 動物の死体のある場所を
教えている。動物を密猟する人は ハゲタカを毒殺
すれば 動物を密猟したことが ばれない。
卑劣な密猟だ。
BirdLifeによると カタツムリの殻に毒入り餌をいれ 
野鳥に食べさせ、死にそうな鳥を食用に売る
こともある。
ボツアナでは キリンの死体に毒を詰めておく。
そうすると ハゲタカが集まってきて、毒にやられ
て死ぬ。取締当局はハゲタカの動きによって 
密猟者の動きを知るので 密猟者はハゲタカを
皆殺しにしたいようだ。
最近 発覚した二つの事件だけでも 80羽の
ハゲタカが毒殺された。
下記サイトから:
http://www.n-tv.de/wissen/weltall/Tausende-Voegel-werden-vergiftet-article647283.html  


Posted by jtw at 08:28Comments(0)

2010年01月03日

ドイツ忠猫伝/猫は飼い主に火事を知らせ、死んだ

バーデンヴュルテンベルク州Altshausenに住む
エドガルとスシのアパート(2階)で 大晦日 
朝4時頃に火事が起きた。家財は全焼したが 
火事を知らせてくれた猫のお陰で飼い主は
死なないで済んだ。
猫は寝室のドアを引っかき、鳴いてくれた。
飼い主がドアを開けると、猫のルンピとシシが
部屋に飛び込んできた。
居間から もうもうとした煙が床を這ってくる
のが分かった。エドガルはスシの手をつかみ、
部屋の外へ引きずりだした。二人はパジャマの
まま 外へでて助かった。
猫は鳴き続けていたが 煙のために 二人は猫を
助けに行けなかった。ルンピ(生後9ヶ月)が 
マットレスの隙間で 窒息死しているのを 
後で 消防士が見つけた。
ルンピの妹シシは マットレスの支えの下に
逃げ込んで 生き延びた。シシは 混乱して 
一日中 鳴いて 義理人情に厚い人命救助猫
ルンピを探していた。
下記サイトから:
http://www.bild.de/BILD/news/2010/01/03/kater-stirbt/nach-rettung-von-familie-aus-brennendem-haus.html  


Posted by jtw at 10:55Comments(2)

2010年01月02日

プロテスタント教会は信者を増やす試みをしているinドイツ

教会のベンチに座る人は減っている。信者の
減少を新教の信者は受け入れたがらない。教会は
長年 忘れていた伝道というテーマに向きあう
意欲を示している。

Alexander Garth牧師は10年前に東ベルリンにプロテスタント教会をパイロット事業として設立した。今そこに集まる信者はかつて無神論者だった。彼の会衆はオルガン音楽でなく、ポップ音楽で礼拝を祝う。設立時7人だった信者は今200人になった。
ルターが綱領の評価をしてから約500年たち、再び教会は目を覚ました。2008年に新教教会から16万人の信者が去った。この十年に合計190万人が教会に背を向けた。留まっている2500万人のドイツプロテスタント信者のうち、4%が日曜に教会へ礼拝にいく。教会のベンチはガラスキになった。20世紀に ほとんど全ての子どもは洗礼をうけた。今では人口の1/3が無宗派になった。
Bertelmann財団の調査によると、ドイツ人の70%は信心をしている。
新しく教会に来る人の60%は 友人を通じて教会を接触するようになった。信者の5%は 古典的教会オルガンに関心をもっていない。従って 老人にはオルガン音楽による礼拝、30歳代中ごろの信者には宗教的ポップ、青年にはジャングルキャンプと言うことになる。
バイエルン・ルーテル教会は2008年3月に設立され、ゼロから始めて 今80人の若者が来る。
下記サイトから:
http://www.welt.de/politik/article5344524/Protestanten-entdecken-Mission-in-Deutschland.html  


Posted by jtw at 12:31Comments(0)

2010年01月01日

麻薬積み替えin西アフリカ

南アメリカから欧州へ向かう麻薬が西アフリカ
経由で運ばれている。船や小型飛行機だけでなく、
大型機ボーイング707や727によっても運ばれている。
麻薬取引は 政治的に不安定な西アフリカ諸国に
劇的な帰結をもたらしている。
欧州の麻薬捜査担当者は 新しい方法を投入しな
ければならない。
マリの首都バマコから千キロ離れた砂漠に古い
ボーイングの残骸がある。11月初めにひそかに
着陸し、荷物を降ろした後、墜落した。飛行機は
ベネズエラから来たものだと分かった。
南米の麻薬業界ボスは西アフリカを麻薬積み
替え地にした。彼らは毎年250トンのコカイン
(価格何億ユーロ)をシエラレオーネ、ギニア
ビサラ、モーリタニアへ運ぶ。これらの国は 
腐敗、国家的愚行、内戦の危険に曝されている。
今まではコロンビアのカルテルが密輸を管理して
いた。それが変化し、アフリカ人自身が麻薬取引
業者になった。今、ナイジェリアからのグループが
アフリカへ南米から麻薬を運ぶ例が増えている。
7月には国連の治安維持軍がギニアの首都で多くの
秘密工場で大量の化学物質を押収した。これらの
工場にナイジェリア人が関わっていた。そこでは
アヘンを原料にヘロインを作ることができる。
エクスタシーのようなデザイナー麻薬も作れる。
下記サイトから:
http://www.tagesschau.de/ausland/drogenschmuggel100.html  


Posted by jtw at 18:36Comments(0)