2009年09月12日

月に何故兎が住むか?良寛・月のうさぎと自己犠牲・ 立松和平

月刊「春秋」2009年8/9月号p.24~27.
連載 良寛という生き方(4)から抜粋。
陰暦8月15日は 今年、新暦10月3日にあたります。
月と兎に こういう話があるそうです。
記事は買って読んでください。

★布施というのは、貪らないということである。
貪らないということは、世の中に へつらわない
ことである。

六波羅蜜の第一にある布施とは、相手のことを
いつも考え、相手のためになるようにと願って
たえず慈悲心に基づいて行動することである。
この布施の究極の姿が、自己犠牲ということで、
大乗仏教の最終的な理想であるだろう。
在家者が出家者に財物を布施するのが財施、
出家者が在家のものに仏の教えを説く法施があり、
仏教はこの二種類の布施の上に成り立って
いるといえる。

この布施心を人々の前に現わすのが、愛語である。
良寛は「正法眼蔵』の愛読の部分を筆写し、
人に与え、自分の机の前に貼っておいたとされて
いる。愛語はまず人々にやさしい言葉をかける
ことである。人々と接した時に慈愛の心をおこ
し、相手の心になって慈悲の言葉をかけることだ。

良寛は「正法眼蔵」の愛語の部分を好んで
謹書したということは、道元の言葉を愛語として
人々に布施したのだ。
後世の私たちにまでである。

良寛の気持ちになり、なお『正法眼蔵』を引き
写してみよう。
「人と向かい合って愛語を聞くのは、顔を喜ばし、
心を楽しくする。陰で愛語を聞くのは、向き合って
聞く時よりも肝に銘じ、魂を感動させるものである。
知るべきである。愛語は愛の心からおこるのであり、
愛心は慈悲の心を種子としている。愛語は天さえも
廻す大いなる力のあることを学ぶべきである。
愛語はただ相手の長所を誉めるということ
ではないのだ。」

翻訳すればこのようなことである。詩歌をつくり、
子供に語りかける良寛は、まさに愛語の人であった。

良寛の愛語を表わす長歌に「月の兎」がある。
この物語は釈迦の前世を語る本生経(ジャータカ)
や「今昔物語」に出てくる。子供たちを前に、
良寛が語ったのだと考えればよいだろう。

 ★ 月の兎
石(いそ)の上(かみ)ふりにし御世に ありといふ
猿(まし)と兎(をさぎ)と 狐(きつに)とが 友を結びて
朝には 野山(ぬやま)に遊び
タベには 林に帰り
かくしつつ 年の経(へ)ぬれば
ひさかたの 天(あめ)の帝(みかど)の 聴きまして
それが実(まこと)を知らむとて
翁(おきな)となりて そがもとに
よろぼひ行きて 申すらく

汝等(なむだち)たぐひを 異(こと)にして
同じ心に 遊ぶてふ
まことに聞きしが 如(ごと)あらば
翁(おきな)が飢(うゑ)を 救へとて
杖を投げて 息(いこ)ひしに
安きこととて ややありて
猿は後(うしろ)の 林より
菓(このみ)を拾ひ 来(きた)リたリ
狐は前の 河原(かはら)よリ
魚(うを)をくはへて 与えたり
兎(をさぎ)は辺(あた)りに 跳び跳べど
何を物せで ありければ
兎は心 異なりと
罵りければ はかなしや

兎 計(はか)リて 申すらく
猿は真柴(ましば)を 刈リて来よ
狐はこれを 焼きて給(た)べ
言ふが如くに 為(な)しければ
烟(ほのほ)の中に 身を投げて
知らぬ翁(おきな)に 与へけリ

翁はこれを 見るよりも 心もしぬに
ひさかたの 天(そら)を仰ぎて うち泣きて
地(つち)に僵(たふ)れて ややありて
胸打ち叩(たた)き 申すらく
汝等(なむだち)三人(みたり)の 友だちは
いづれ劣ると なけれども
兎は殊(こと)に やさしとて
骸(から)を抱へて
ひさかたの 月の宮にぞ 葬(はふ)リける
今の世までも 語り継ぎ
月の兎と 言ふことは
これが由(よし)にて ありけると 聞く吾(われ)さへも
墨染の 衣(ころも)の袖は とほりて濡れぬ
 

これは究極の自己犠牲の物語である。語りながら
良寛は泣き濡れ、自分もこのように生きたいと
願ったのに違いないのである。自己犠牲による
布施こそが、大乗仏教の最終的な理想なのだ。
たてまつ わへい・作家


  


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2009年09月12日

アウシュヴィッツ強制収用所・設計図・ホロコースト記念館に

Yad Vashemホロコースト記念館の館長へのインタビュー。
アウシュヴィッツ建築設計図は なぜイスラエルにとって
大事かを語る。

最近見つかった 元々の設計図は 犠牲者の国
イスラエルに ドイツのBild誌から 贈られた。
この設計図は 人間が相手に何をするかを示す。
どれほど多くの悪が人間に植え付けられたかを
示す証拠である。
欧州全土に多くの収容所とゲット-があったが、
アウシュヴィッツはナチのユダヤ人虐殺収容所の
中で最大だった。
そこで百万人以上のユダヤ人が殺された。
イスラエルのユダヤ人にとって「アウシュヴッツ」という
言葉ほど 多くの感情を引き起こす言葉はない。
設計図は1941年初めから1942年までの間に書かれ、
戦犯キャンプから 労働収容所・殺戮収容所
への変容をも示す。この設計図は 2010年1月
27日の国際ホロコースト記念日に公開される。

Yad Vashem国立記念館は1953年に設立された。
エルサレムの町外れにある。ナチによるユダヤ人
虐殺についての世界最大の文書館である。
年間来館者200万人。館長はAvner Shalev。
下記サイトから:
http://www.bild.de/BILD/politik/2009/08/27/holocaust-gedenkstaette-yad-vashem/bild-uebergibt-orginal-bauplaene-von-auschwitz.html  


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2009年09月11日

隠れん坊・生き残るためinナチの時代

第二次大戦中 ベルリンで約6000人のユダヤ人が
ナチから逃れるために隠れた。
今ベルリンのOtto Weidt博物館で その隠れ場所と
そこで生きた人々の話を展示している。勇気と
悲劇と裏切りの物語。

1944年10月1日ベルリンの「心のイエス教会」で神父
クロイツは後継者ロートケーゲルを迎えた。教会の
地下室にユダヤ人Erichを匿っていることを
後継者に伝えなければならなかった。
Erichの兄は42年6月に強制収用所で死んでいた。
42年8月に古い知人が48歳のErichを自分のアパートに
匿い、金と食料を与えていた。Erichは義足だった
ので 空襲警報が出た時に 防空壕に逃げる場合、
特に目立つので 夜は そこに いられなかった。
42年9月9日にクロイツ神父の教会の暖房用地下室
に隠れた。教会は暖房することを許されて
いなかったので、そこは安全だった。
後継の神父も この秘密を守った。彼の母は
ユダヤ人だった。Erichは生き延び、75歳で
1969年に亡くなった。

そのような隠れ人の中の有名人に 作家の
Inge Deutschkron ドイチクローン(この展示会の
きっかけを与えた)や 歴史家 Herbert Strauss 
ヘルベルト・シュトラウス(ベルリンの反ユダヤ主義運動研究
センターの設立理事長)がいる。

写真家Sibylle Baierと Daniels Friebelはその隠れ
場所の写真を撮った。

Alice Loewenthal(仕立て屋)は6歳と5歳の娘
を連れて隠れた。夫は43年2月27日にゲシュタポに
捕まった。娘二人はワイマールで空襲を受けた難民
の子として 他人の世話になっていた。戦後 
アリスは次のことを知った:娘たちは秘密がばれて 
アウシュビッツに送られ、そこで消息は途絶えた。
アリスは1987年に死ぬまで 娘との再会を念じていた。

アンネ・フランクのように 長い間 隠れているのでなく、
毎晩 別の場所に泊まり、やむを得ず 職を
探したりして 社会で行動していた人もいた
ことは、多くの後の人々にとって想像できない
ことだった。

作家ドイチクローンと彼女の母は ブラシ製造人 
Otto Weidtのところに隠れた。1998年に 彼の
作業場が再発見された。窓のない10平方メーターの
部屋だった。1943年10月に この部屋もゲシュタポに
見つかってしまった。

展示会には30の隠れ場所が選ばれた。

ロートケーゲル司祭は1944年にErichを匿った。彼の教会
の聖具室の地下室に もう一人のユダヤ人が
隠れていたことが その30年後に分かった。

しかし 隠れ場所(当時「潜水艦」と呼ばれて
いた)にいた約6000人もベルリン住人のうち 3/4は
見つかって殺された。1400人ほどが ホロコーストを
生き延びた。
下記サイトから:
http://einestages.spiegel.de/static/topicalbumbackground/4909/versteckspiel_um_leben_und_tod.html


  


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2009年09月11日

水陸両用バスでブダペスト観光

2009年9月18日から10月末までハンガリーの首都
ブダペストの六つの市内観光コースで 毎日
水陸両用バスが運行される。
下記サイトの写真をクリックすると その写真
10枚が見られる。
ドナウ川から古都を見るために 船に乗り換え
なくていいのが利点。
バスを造ったのは地中海のマルタ島にある
Amphicoach社。水上ではディーゼルのタービンで進む。
2時間の観光は25ユーロ(3300円くらい)。
http://www.bild.de/BILD/lifestyle/reise/2009/09/stadtrundfahrt-im-schwimmenden-bus/spritztour-in-amphibienfahrzeug-budapest-ungarn.html  


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2009年09月10日

溺れる難民を救助し、告訴されたチュニジア漁民

チュニジアの漁船長Zenzeriは 2007年8月に地中海で
44人の難民が溺れていたので 救助したのに、
イタリア当局に告訴され もう2年間 漁をできない。
イタリアのシシリー島で 彼と部下が告訴されている
ので 漁労許可証をチュニジア政府が 更新しないのだ。
不法入国を幇助したと言うのが告訴の理由だ。
検察は 3年半の懲役と44万ユーロの罰金を求刑した。
彼の11万ユーロの船はイタリア当局に押さえられた。

海が荒れていなければ、難民を自船に乗せて
チニジアへ航海したか、海上でイタリアの沿岸警備隊
の船に難民を乗り移らせただろう。

難民の船は8月5日にリビアを出港し、48時間後
にゴムボートの空気が抜けてきた。それで漁師
たちが 彼らを救助した。

5年前に地中海で37人の難民を救助したドイツ人
船長Stefan Schmidtも 支援組織の代表者Elias 
Bierdelと共に告訴されている。

Zenzeriの裁判はずっと引き伸ばされている。

去年1年間で8万人がアフリカから海路で欧州に
来ようとした。37000人はイタリアに着いた。そのうち
31000人は チュニジアに近いイタリア領のランペドゥサ島
に着いた。数千人は途中で死んだ。

Zenzeriたちがイタリア沿岸警備隊い付き添われて
2007年8月7日にランペドゥサに着いたとき、故郷へ
電話しては いけないと言い渡された。故郷
では2週間も 連絡がないので 葬式を出す
用意をしていた。

シシリーで裁判をうけ、重罪人であるかのような
扱いをされた。しかし もっと辛いのは漁に
出られないことだった。毎日 南東の方へ
向かってお祈りは している。
裁判では 2隻の船に網が無かったことに
よって、人身売買にかかわっていたと言われ
ている。しかし 1隻が網を積むやり方は 
そもそも イタリアから学んだのだ。すべての
チュニジアの新聞は この事件を報道した。
ローマ駐在 チュニジア大使も裁判所に足を運んだ。
しかしチュニジア政府は何もしない。

Zenzeris船長は もしも 次の事がおきたら 
どうなるだろうかと 思う:
裕福なヨーロッパ人を乗せた客船が SOSを発信した。
しかし何の応答もない。数百人が溺死した。
近くに漁をしていた人はいたが 救助には
向かわなかったということが悲劇の後で分かった。
「そういう事は 起こらないと 思いたい。
私なら また同じように 救助するだろう」。
下記サイトから:
http://www.zeit.de/2009/37/Menschenfischer  


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2009年09月10日

幻の浄瑠璃復活公演@新潟・「弘知法印御伝記」英で発見、

朝日新聞 2009年9月9日夕刊から
抜粋。記事は買って読んでください。

元禄時代に浄瑠璃本として海外に持ち出され
た浄瑠璃がある。ゆかりがある新潟県で、
地元で結成された越後猿八座によって、300年
ぶりに舞台に復活した「弘知法印御伝記」である。
(由里幸子)

 1962年に浄瑠璃研究の早稲田大学名誉教授の
鳥越文蔵さんはケンブリッジ大学で教えていた
時に 数点の浄瑠璃本(大英博物館所蔵)を
見て欲しいと 現地の研究者から頼まれた。

その一冊「越後国柏崎 弘知法印御伝記」は、
日本では現存が確認されていないものだった。
自らの遊びがもとで妻が殺され、息子たちと
別れた男が即身仏になるまでの物語。14世紀に
即身仏となって、いまも長岡市の西生寺に安置
されている弘智法印がモデルだ。
日本橋堺町で説経浄瑠璃をしていた江戸孫四郎が、
年代など大きく変えて物語にし、貞享2(1685)年
ごろに舞台にかけたらしい。近松門左衛門が
活躍する以前の「古浄瑠璃」は、英雄や昔話、
高僧などの物語が多く、地方のあまり知られて
いない僧の話は珍しく、貴重な浄瑠璃だ。

 海外には、ドイツ人医師ケンペルが持ち
出したようだ。
鳥越さんは、国内には虫食い本しか残っていな
かった他の浄瑠璃もふくめて1966年に
『古浄瑠璃集(大英博物館本)』として刊行した。
 それから40年。鳥越さんの友人で日本文学研究者
のドナルド・キーンさんは、文楽で三味線弾きを
やっていたが新潟にもどっていた鶴沢浅造さんに 
古い浄瑠璃の復活をすすめた。

 浅造さんは鳥越さんの上演許可をえ、キーンさん
から越後角太夫と名前もつけてもらい、佐渡の文弥
人形の人形遣い西橋八郎兵衛さんとともに、
越後猿八座をたちあげた。
こうして浄瑠璃は、ことし6月に柏崎市で
よみがえった。言葉がわかりやすく聞こえるように、
しかも古風に作曲し、角太夫さんが三味線も語りも
熱演した。人形は西橋さんが作った。江戸初期の
ころのように西橋さんはじめ座員たちは1人で
ひとつの人形を操る。
 一座の公演は、まだ新潟県内に限られている。
夢はいずれ大英博物館で上演することだ。  


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2009年09月09日

鶴は例年より早くドイツに飛来

ツルは いつもより早くメッケンブルク-フォアポンメルン州に
飛来している。
フォアポンメルンのBodden地方の国立公園の主なツルの
眠る場所3ヶ所に約3000羽がみられる。10月まで
には7万羽になる見込み。
この地方は ヨーロッパで最も重要なツルの休養地の
一つになっている。
ツルを観察する いい場所は Gross Mohrdorf
のツル情報センターで、そこでは 明け方や夕方に 
ツルを見に行ったり、Werden島のツルの眠る
場所に船で行ったりするツアーもある。
下記サイトから:
http://www.n-tv.de/reise/Kraniche-kommen-frueher-article493518.html  


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2009年09月09日

オオカミは怖くないinドイツ

ドイツに2000年から再定住されたオオカミは 
当然 保護されなければならない。
ドイツ全土に50頭しかいない。
この数十年 狼は人を襲ってないのにオオカミは
殺されてきた。オオカミを殺すことは 不法行為
であり 罰せられる。
ザクセンとブランデンブルクにまたがるLausitz地方に
ヨーロッパ狼が移住させられ、そこのベルリンの2倍の
広さの土地に5群と一組が住んでいる。
狼は長距離を移動するので 広範囲に観察されて
いる。通常 狼は人を避ける。羊を殺すことはある。
狼を射殺すると 最長5年の「身体の自由を
拘束する刑」に服するか 罰金刑になる。
下記サイトに ドイツの狼の写真10枚ほどあり:
http://www.n-tv.de/wissen/weltall/Keine-Angst-vor-Woelfen-article495068.html  


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2009年09月08日

ポラロイド復活in2010年

2008年6月に オランダのEnschedeで 最後の
ポラロイドカメラ(フィルム)が製造された。
それまでかと思っていたところ、若い写真家たちが
救援の努力をして、2010年初めに生産を再開し、
初年度に百万のフィルムを売る計画だ。

Simone Frignaniはベルリンの「インスタント写真ショップ」
の店長。芸術家・写真家・ポラロイド信奉者でもあり、
着ているTシャツには ポラロイドの写真がプリント
されている。彼は5歳の時から ポラロイドを撮り続け 
今までに約500枚を撮った。デジカメと違い、
ポラロイドは値が高い(10枚17ユーロ)ので 
写真を撮る前に よく考える。

Florian Kaps(39歳)がこのプロジェクトの責任者。
芸術家で企業家。彼は最後の50万のフィルムを
買い取り、オランダのEnschedeで 古い機械を
買い、元の社員の内の10人ほどを雇って この
復活プロジェクトを始めた。
企業家・カメラ販売業者・友人・親戚は300万ユーロを 
このプロジェクトに投資した。
アナログのメディアの聖像は不死であり、市場の隙間を
狙えば売れると Florianは考える。アナログ写真は 
レトロの魅力を持つのだ。
インスタント写真の新しい買い手は「24~48歳で、
55%は男、高い教育水準をもち、創造的で 
金もある。52%以上はアップルコンピューターを使う」。

シャッターを切った後の温度、光の状況が ポラロイド
写真の色合いを決める。赤みがかって写るか、
青みが勝つかが それで決まる。
Simoneが 一番気に入っているのは ポラロイド
のシャッターの音だ。
下記サイトから:
http://www.dw-world.de/dw/article/0,,4600283,00.html  


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2009年09月07日

砂漠で洪水in西・中央アフリカ。35万人家を失う

90年ぶりの大雨が道や橋を破壊し、少なくとも
32人が死んだ。約10万人が避難生活をしている。
道や橋が通行不能なので連絡は途絶し、被害状況
は把握できないが、ガーナとブルキナファソ 
だけで 32人が死んだ。
赤十字や ドイツの支援組織の連合体は 緊急の
支援を呼びかけている。
中央アフリカのブルキナファソだけで 15万人が家を失った。
約10万人は 首都オウガドウゴウで避難所を
求めている。年間降水量の約25%が 1日だけで
記録された。90年ぶりの大雨だった。

ニジェールの砂漠の町 アガデスでも 何年かに
一度の大雨が記録された。
サハラ砂漠地帯の多くの町では どこでも 
粘土で作った家が 大半であり、雨は粘土の家に 
多くの被害をもたらす。
東部のスーダンでも 大雨は大被害をもたらした。

下記サイトから:
写真の下をクリックすると 3枚の写真が見られる
http://www.spiegel.de/panorama/0,1518,647275,00.html  


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2009年09月06日

登山・ハイキング旅行が流行inドイツ

約1千万人のドイツ人は ドイツ全国の登山路・
ハイキングコース 約20万キロを歩いている。
牧歌的なライン川沿いの小道から アルプスの技術の
要る登山路まで 様々な希望に応えるコースがある。

ドイツ徒歩旅行研究所の 所長Dr. Rainer Braemer 
は「登山者やハイキングする人の希望を叶えられな
いと ホテル業界は この市場で 利益をあげる
ことは 難しいだろう」と言う。
自然の中での運動は 免疫系を強くし、癌になる
危険を減らし、新陳代謝を促し、心に効く。
自然はストレスを減らす効力がある。
下記サイトから:
http://www.n-tv.de/reise/Wander-Tourismus-boomt-article489990.html  


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2009年09月06日

イスラム教徒のための「いのちの電話」inベルリン

2009年9月2日に世界初のイスラム教徒のための
「魂の配慮の電話サービス」がベルリンで始まった。
キリスト教徒のための 同様のサービスは ドイツに
1956年からある。
イスラム教の断食月が終わり、今お祭りが
ベルリンでも祝われている。
この電話サービスのための予算140000ユーロは
すべて寄付でまかなわれる。
22人のイスラム教徒の職員は キリスト教系の
「魂への配慮の電話」によって養成された。

4ヶ月の試験期間中に350の電話相談があり、
それらの大半は結婚における葛藤、家族や子ども
の問題についてだった。強制結婚や強姦のような 
危機的な状況にある人からの相談もあった。
イスラム教徒が 何か問題があって電話相談
してくるのは、宗教が関係している場合が多い。
イスラム教を生活の場で実践していない
人々でも そうである。

下記サイトから:
http://www.dw-world.de/dw/article/0,,4632345,00.html
  


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2009年09月05日

バグダッドでバード・ウォッチング

アメリカ兵 Jonathan Trouern-Trend(33歳)は イラク
駐留中も 野鳥を見ていた。大学では生物学を
専攻した。
バグダッドの北の米軍キャンプに2万人が住んでいた。
彼は 衛生兵として働いた。
彼は2004年2月にイラクに派遣され、動物や自然に
ついての ブログ birdingbabylon を書いた(今も
アメリカに戻って 書いている)
http://birdingbabylon.blogspot.com/

彼の本「イラクでの兵士の日記、birding・バビロン」
ドイツ語版はベルリンで出版された。

戦場では 攻撃・待ち伏せへの恐怖と緊張が
あるけれど、暇も多い。たとえばクロード・レヴィ-ストロース
(フランスの民族学者)は1939年に ドイツとの国境線に
沿って構築された要塞線 マジノ線に投入され、
そこで攻撃を待っている間に木の花の形を観察し、
構造主義を生み出した。

Marcel Beyer の小説Kaltenburgのために、
Konrad Lorenz, Joseph Beuys, Heinz Sielmann,
元東ベルリン動物園長Heinrich Dathe が素材を提供した。
Datheは Verona周辺の地域に駐在していた時に 
自由時間を動物の研究にあてた。
彼は そこでチョウゲンボウが コウモリを狩る様子を
観察し、それについて 最初の記録を書いた。

ハシビロガモ、赤紫ヤマウズラ、砂漠狐は 戦線の
Trouern-Trendの慰めになった。彼の文は フランツ・カフカ
の動物描写を思い出させる。カフカの日記にも 
人の生活と動物の生活のつながり・結びつきが
出てくる。
下記サイトから:
http://www.faz.net/s/Rub117C535CDF414415BB243B181B8B60AE/Doc~E1A508D1F53AF4BD282921DE6903A62B2~ATpl~Ecommon~Scontent.html


  


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2009年09月05日

Grillカッコウの雌は男勝り

「グリル・カッコウ」の雌は 複数のパートナーを持ち
たがり、色鮮やかな羽をしていて、縄張りの防衛
にも主役を務める。普通の鳥は 縄張りに
見知らぬ鳥が入り込んできたら、雄が 声を
張り上げるのに グリルカッコウは 雌が縄張りを守る。
Seewiesenにある Max-Planck鳥類研究所の
研究者が タンザニアでの観察の結果、この
ことを発見した。
この鳥の雌の行動を引き起こすのは 性ホルモン 
テストステロンであろうと思われる。雌は雄と比べ、
脳のある領域にテストステロンを感知するセンサー
分子をより多く持ち、攻撃行動と縄張り行動に
関して、よく反応する。
縄張りに侵入者が来た時に雌は侵入者の声の方に
近づき、応答する。敵に対して 低い声で長く鳴き
返す。雌鳥は大きければ声も低いので 敵に
対して体の大きさを声で示す。
雄は その間 うしろの方で何もしないで居る。
下記サイトから:
http://www.stern.de/wissen/natur/revierverhalten-im-tierreich-warum-grillkuckuck-weibchen-machos-sind-1505860.html  


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2009年09月04日

麻薬戦争inメキシコ

2009年9月2日に麻薬犯罪者とのかかわりで
53人が殺された。北部のフアレズ市だけで40人が
死亡した。この数は1日に殺された人数としては
最多。同市はテキサスと国境で接している。
メキシコでもっとも危険な町とされている。

同市の麻薬依存症者用病院にいた青少年のうち 
少なくとも17人は射殺された。

ミチョアカン州の保安隊の副長も射殺された。
同州はメキシコ西部にあり、麻薬組織 ラ・ファミリアの
本拠地である。このヤクザ屋さんは 保安隊の
隊員を次々に暗殺していて、この州の麻薬売買と 
覚醒剤メタンフェティンの製造を仕切っている。
当局は この組織との戦いを7月に強化した。

薬物依存症者回復施設に 犯罪者が入所する例が
増えている。ヤクザ屋さんが 施設に居る少年を
リクルートするのだ。しかし 23歳を過ぎると 
組織にとって価値が無くなるので そのときに
青年は死ぬか、当局の管理下に入るかになる。
最近も 別の薬物依存症者回復支援施設で8人の
青年が殺された。
下記サイトから:
http://www.faz.net/s/Rub77CAECAE94D7431F9EACD163751D4CFD/Doc~EECB617428358435081274EBF454F6AD1~ATpl~Ecommon~Scontent.html  


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2009年09月03日

また鉛中毒スキャンダルin中国

2009年8月31日発:
8月で3件目の環境汚染による鉛中毒事件。
南西部の昆明市で 200人以上の子どもの血液中に
重金属の量が多いと 保健当局は発表した。
工場地帯の周辺の子どもの血液中に高い濃度の
鉛が見つかった。

北西部のShaanxi省でも 8月初めに150人以上
の子どもが鉛中毒で入院した。そこでは800人
以上の子どもの血液中に 危険な程の鉛が見つ
かった。すべての被害児は金属精錬小屋の
近くに住んでいた。
湖南省、河南省、雲南省、広東省でも 
似た問題が起きた。
下記サイトから:
http://www.stern.de/panorama/hunderte-kinder-erkrankt-neuer-blei-skandal-in-china-1506358.html  


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2009年09月02日

薬物依存・男のイスラム教徒の治療施設@ドイツ

ニュルンベルクにドイツで唯一のイスラム教徒のための
薬物依存症治療施設がある。
トルコ系出稼ぎ外国人労働者の息子Cem(32歳)は
親の決めた結婚をして、薬物依存が始まった。
双方の家族は離婚に反対した。「忘れるために」
闇で働き、薬物代を稼いだ。毎日 大麻とコカインを
やった。そのうちに1日2グラムまでのヘロインを
するようになった。
今はこの施設で治療を受けている。ニュルンベルク
郊外Brinthonにあり アルコール・薬物依存症者70人
を収容する。
患者の母語を話す職員が世話してくれる。この
施設の日常語はドイツ語であるが、患者の母語は
治療で重要な役割を果たす。アラビア語で
お祈りしても 誰も じろりと見たりしないし、
ラマダンは どういうものか 説明しなくてもいい。
ここでは 分かってもらえていると言う
安心感がある。
職員も患者と同じ集団の人だと言う気持ちを 
患者は 持っているので 信頼感が強くなる。
なぜイスラム教徒の治療所 特に 男性の治療所
が必要かと言うと、少数派の受ける困難は 
厳しいからだ。差別があり、教育を受ける機会
が少なくなる。
施設の責任者Levent Civan(社会教育学者)は 
この施設の必要性を説明し、「不安定と 外国人
であるという法的立場が 問題を難しくして
いる」という。

治療中の患者の大半は 様々な薬物を使ってきた。
大麻・コカイン・ヘロインなどを同時に使っていて、特定の
薬物を単独で使う人はほとんど無い。

 イスラム教徒の共依存は強い。親が息子を
甘やかすからだ。イスラム教徒の薬物依存の男の 
苦難の道は長く、恥辱感は深い。なぜなら 
ドイツに来たのは いい生活をするためであり、
薬物依存になるとは 思いもよらなかったからだ。
施設では イスラムの食事、トルコ語の新聞、テレビが
提供される。スポーツもできる。炊事場・洗濯場・
家具製作場・庭で 作業療法ができる。
ドイツ語教室、政治教室もある。トルコの楽器リュート
も習える。
入院患者は 歓喜から意気消沈まで両極を揺れ動く。
2008年に患者の30%は治療を中断した。しかし
約1/3の患者は薬物から最終的に離れた。

Mertは16歳で始めてマリフアナをした。ずっとマリフアナで
済んでいたのに、35歳の時 トルコ茶館で友人に
ヘロインを勧められて やった。49歳の今までに 
26回 毒抜きを試み、25回負けた。「3人の娘に
はウソをつくなと常に言い聞かせてきた。しかし
依存症に気付かれないように 私はいつも
ウソを言ってきた。本当に恥ずかしいことだ」。
今Mertは薬物から離れている。以前はトラック運転手
だったが今は この施設で働いている。最後に
薬物をしたのは2000年だった。
下記サイトから:
http://www.zeit.de/online/2009/36/drogen-migranten
  


Posted by jtw at 14:33Comments(0)

2009年09月01日

人として威厳を持って死ぬ@ホスピスinコロラド

下記サイトに写真10枚とその説明。

写真1. 一人で死を待つのは悪夢だ。しかし 
それがアメリカやドイツの老人ホームや介護施設での
現実だ。独米の違いは アメリカでは 法律による
健康保険がなく、市民は自分で責任を負わねば
ならない と言う点にある。
コロラド州の「使徒ヨハネ・ホスピス」では そうではない。
「人生の日々のすべての瞬間は 生きる価値
がある」と言うのが このホスピスの標語だ。

2. Lakewoodにある この公益ホスピスは1977年に
設立され、今までに3万人以上の患者を受け入れた。
死を待つ人は 金を持っていようと いなかろうと、
受け入れ 介護される。個人からの寄付と財団
からの援助によって運営資金の一部は 
まかなわれる。

3. 経費の大半は「メディケア」という年金生活者
のための 一種の公的健康保険で 負担される。
この健保の保険料もたいへん高いので 多くの人は
負担できない。
4.これと比べ 「メディケイド」はドイツの社会扶助
に似ている。アメリカ人は 他に頼るところが 
なくなると これを利用することになる。
長期間の介護の必要がある場合に 保険を利用
できる可能性は アメリカには ない。しかし
「使徒ヨハネ・ホスピス」では 多くの医師、介護者、
ボランティアが患者の世話をする。患者の お金の事情
でなく、患者が必要としていることが 考慮される。

5.治療犬も 患者の不安や 憂鬱な気持ちを和らげる。
6. ここでは 通例でない治療法、芸術療法、
アロマ療法も使っている。患者の足をマッサージ
するのは 他の施設では あまり していない。
普通のホスピスの介護経費は 病院の介護経費の1/3
である。
7. 68歳のJudithは 4年半前に 癌の末期だと
診断された。
8.ホスピスでは歌も聞けるし、歌うこともできる。
アメリカでは 3億500万人の人口のうち 6人に1人は 
健康保険に入っていない。オバマ大統領は これを
改革する意向だ。しかし 野党 共和党は 民間
の健康保険会社との競合を恐れ、公共の保険に
反対している。
9. (よく分からない。お祈りの場面?)
10. ボブ(97歳)とフォロレンス(90歳)は直らない
病気だ。1年前にホスピスで知り合い、愛し合う
ようになった。死が二人を分かつまで 二人は 
ここで幸せな時を過ごす。
http://www.stern.de/wissen/mensch/muskeltest/hospiz-in-colorado-in-wuerde-sterben-1504579.html  


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