2009年09月12日

月に何故兎が住むか?良寛・月のうさぎと自己犠牲・ 立松和平

月刊「春秋」2009年8/9月号p.24~27.
連載 良寛という生き方(4)から抜粋。
陰暦8月15日は 今年、新暦10月3日にあたります。
月と兎に こういう話があるそうです。
記事は買って読んでください。

★布施というのは、貪らないということである。
貪らないということは、世の中に へつらわない
ことである。

六波羅蜜の第一にある布施とは、相手のことを
いつも考え、相手のためになるようにと願って
たえず慈悲心に基づいて行動することである。
この布施の究極の姿が、自己犠牲ということで、
大乗仏教の最終的な理想であるだろう。
在家者が出家者に財物を布施するのが財施、
出家者が在家のものに仏の教えを説く法施があり、
仏教はこの二種類の布施の上に成り立って
いるといえる。

この布施心を人々の前に現わすのが、愛語である。
良寛は「正法眼蔵』の愛読の部分を筆写し、
人に与え、自分の机の前に貼っておいたとされて
いる。愛語はまず人々にやさしい言葉をかける
ことである。人々と接した時に慈愛の心をおこ
し、相手の心になって慈悲の言葉をかけることだ。

良寛は「正法眼蔵」の愛語の部分を好んで
謹書したということは、道元の言葉を愛語として
人々に布施したのだ。
後世の私たちにまでである。

良寛の気持ちになり、なお『正法眼蔵』を引き
写してみよう。
「人と向かい合って愛語を聞くのは、顔を喜ばし、
心を楽しくする。陰で愛語を聞くのは、向き合って
聞く時よりも肝に銘じ、魂を感動させるものである。
知るべきである。愛語は愛の心からおこるのであり、
愛心は慈悲の心を種子としている。愛語は天さえも
廻す大いなる力のあることを学ぶべきである。
愛語はただ相手の長所を誉めるということ
ではないのだ。」

翻訳すればこのようなことである。詩歌をつくり、
子供に語りかける良寛は、まさに愛語の人であった。

良寛の愛語を表わす長歌に「月の兎」がある。
この物語は釈迦の前世を語る本生経(ジャータカ)
や「今昔物語」に出てくる。子供たちを前に、
良寛が語ったのだと考えればよいだろう。

 ★ 月の兎
石(いそ)の上(かみ)ふりにし御世に ありといふ
猿(まし)と兎(をさぎ)と 狐(きつに)とが 友を結びて
朝には 野山(ぬやま)に遊び
タベには 林に帰り
かくしつつ 年の経(へ)ぬれば
ひさかたの 天(あめ)の帝(みかど)の 聴きまして
それが実(まこと)を知らむとて
翁(おきな)となりて そがもとに
よろぼひ行きて 申すらく

汝等(なむだち)たぐひを 異(こと)にして
同じ心に 遊ぶてふ
まことに聞きしが 如(ごと)あらば
翁(おきな)が飢(うゑ)を 救へとて
杖を投げて 息(いこ)ひしに
安きこととて ややありて
猿は後(うしろ)の 林より
菓(このみ)を拾ひ 来(きた)リたリ
狐は前の 河原(かはら)よリ
魚(うを)をくはへて 与えたり
兎(をさぎ)は辺(あた)りに 跳び跳べど
何を物せで ありければ
兎は心 異なりと
罵りければ はかなしや

兎 計(はか)リて 申すらく
猿は真柴(ましば)を 刈リて来よ
狐はこれを 焼きて給(た)べ
言ふが如くに 為(な)しければ
烟(ほのほ)の中に 身を投げて
知らぬ翁(おきな)に 与へけリ

翁はこれを 見るよりも 心もしぬに
ひさかたの 天(そら)を仰ぎて うち泣きて
地(つち)に僵(たふ)れて ややありて
胸打ち叩(たた)き 申すらく
汝等(なむだち)三人(みたり)の 友だちは
いづれ劣ると なけれども
兎は殊(こと)に やさしとて
骸(から)を抱へて
ひさかたの 月の宮にぞ 葬(はふ)リける
今の世までも 語り継ぎ
月の兎と 言ふことは
これが由(よし)にて ありけると 聞く吾(われ)さへも
墨染の 衣(ころも)の袖は とほりて濡れぬ
 

これは究極の自己犠牲の物語である。語りながら
良寛は泣き濡れ、自分もこのように生きたいと
願ったのに違いないのである。自己犠牲による
布施こそが、大乗仏教の最終的な理想なのだ。
たてまつ わへい・作家


  


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2009年09月12日

アウシュヴィッツ強制収用所・設計図・ホロコースト記念館に

Yad Vashemホロコースト記念館の館長へのインタビュー。
アウシュヴィッツ建築設計図は なぜイスラエルにとって
大事かを語る。

最近見つかった 元々の設計図は 犠牲者の国
イスラエルに ドイツのBild誌から 贈られた。
この設計図は 人間が相手に何をするかを示す。
どれほど多くの悪が人間に植え付けられたかを
示す証拠である。
欧州全土に多くの収容所とゲット-があったが、
アウシュヴィッツはナチのユダヤ人虐殺収容所の
中で最大だった。
そこで百万人以上のユダヤ人が殺された。
イスラエルのユダヤ人にとって「アウシュヴッツ」という
言葉ほど 多くの感情を引き起こす言葉はない。
設計図は1941年初めから1942年までの間に書かれ、
戦犯キャンプから 労働収容所・殺戮収容所
への変容をも示す。この設計図は 2010年1月
27日の国際ホロコースト記念日に公開される。

Yad Vashem国立記念館は1953年に設立された。
エルサレムの町外れにある。ナチによるユダヤ人
虐殺についての世界最大の文書館である。
年間来館者200万人。館長はAvner Shalev。
下記サイトから:
http://www.bild.de/BILD/politik/2009/08/27/holocaust-gedenkstaette-yad-vashem/bild-uebergibt-orginal-bauplaene-von-auschwitz.html  


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