2009年09月10日

溺れる難民を救助し、告訴されたチュニジア漁民

チュニジアの漁船長Zenzeriは 2007年8月に地中海で
44人の難民が溺れていたので 救助したのに、
イタリア当局に告訴され もう2年間 漁をできない。
イタリアのシシリー島で 彼と部下が告訴されている
ので 漁労許可証をチュニジア政府が 更新しないのだ。
不法入国を幇助したと言うのが告訴の理由だ。
検察は 3年半の懲役と44万ユーロの罰金を求刑した。
彼の11万ユーロの船はイタリア当局に押さえられた。

海が荒れていなければ、難民を自船に乗せて
チニジアへ航海したか、海上でイタリアの沿岸警備隊
の船に難民を乗り移らせただろう。

難民の船は8月5日にリビアを出港し、48時間後
にゴムボートの空気が抜けてきた。それで漁師
たちが 彼らを救助した。

5年前に地中海で37人の難民を救助したドイツ人
船長Stefan Schmidtも 支援組織の代表者Elias 
Bierdelと共に告訴されている。

Zenzeriの裁判はずっと引き伸ばされている。

去年1年間で8万人がアフリカから海路で欧州に
来ようとした。37000人はイタリアに着いた。そのうち
31000人は チュニジアに近いイタリア領のランペドゥサ島
に着いた。数千人は途中で死んだ。

Zenzeriたちがイタリア沿岸警備隊い付き添われて
2007年8月7日にランペドゥサに着いたとき、故郷へ
電話しては いけないと言い渡された。故郷
では2週間も 連絡がないので 葬式を出す
用意をしていた。

シシリーで裁判をうけ、重罪人であるかのような
扱いをされた。しかし もっと辛いのは漁に
出られないことだった。毎日 南東の方へ
向かってお祈りは している。
裁判では 2隻の船に網が無かったことに
よって、人身売買にかかわっていたと言われ
ている。しかし 1隻が網を積むやり方は 
そもそも イタリアから学んだのだ。すべての
チュニジアの新聞は この事件を報道した。
ローマ駐在 チュニジア大使も裁判所に足を運んだ。
しかしチュニジア政府は何もしない。

Zenzeris船長は もしも 次の事がおきたら 
どうなるだろうかと 思う:
裕福なヨーロッパ人を乗せた客船が SOSを発信した。
しかし何の応答もない。数百人が溺死した。
近くに漁をしていた人はいたが 救助には
向かわなかったということが悲劇の後で分かった。
「そういう事は 起こらないと 思いたい。
私なら また同じように 救助するだろう」。
下記サイトから:
http://www.zeit.de/2009/37/Menschenfischer  


Posted by jtw at 14:55Comments(0)

2009年09月10日

幻の浄瑠璃復活公演@新潟・「弘知法印御伝記」英で発見、

朝日新聞 2009年9月9日夕刊から
抜粋。記事は買って読んでください。

元禄時代に浄瑠璃本として海外に持ち出され
た浄瑠璃がある。ゆかりがある新潟県で、
地元で結成された越後猿八座によって、300年
ぶりに舞台に復活した「弘知法印御伝記」である。
(由里幸子)

 1962年に浄瑠璃研究の早稲田大学名誉教授の
鳥越文蔵さんはケンブリッジ大学で教えていた
時に 数点の浄瑠璃本(大英博物館所蔵)を
見て欲しいと 現地の研究者から頼まれた。

その一冊「越後国柏崎 弘知法印御伝記」は、
日本では現存が確認されていないものだった。
自らの遊びがもとで妻が殺され、息子たちと
別れた男が即身仏になるまでの物語。14世紀に
即身仏となって、いまも長岡市の西生寺に安置
されている弘智法印がモデルだ。
日本橋堺町で説経浄瑠璃をしていた江戸孫四郎が、
年代など大きく変えて物語にし、貞享2(1685)年
ごろに舞台にかけたらしい。近松門左衛門が
活躍する以前の「古浄瑠璃」は、英雄や昔話、
高僧などの物語が多く、地方のあまり知られて
いない僧の話は珍しく、貴重な浄瑠璃だ。

 海外には、ドイツ人医師ケンペルが持ち
出したようだ。
鳥越さんは、国内には虫食い本しか残っていな
かった他の浄瑠璃もふくめて1966年に
『古浄瑠璃集(大英博物館本)』として刊行した。
 それから40年。鳥越さんの友人で日本文学研究者
のドナルド・キーンさんは、文楽で三味線弾きを
やっていたが新潟にもどっていた鶴沢浅造さんに 
古い浄瑠璃の復活をすすめた。

 浅造さんは鳥越さんの上演許可をえ、キーンさん
から越後角太夫と名前もつけてもらい、佐渡の文弥
人形の人形遣い西橋八郎兵衛さんとともに、
越後猿八座をたちあげた。
こうして浄瑠璃は、ことし6月に柏崎市で
よみがえった。言葉がわかりやすく聞こえるように、
しかも古風に作曲し、角太夫さんが三味線も語りも
熱演した。人形は西橋さんが作った。江戸初期の
ころのように西橋さんはじめ座員たちは1人で
ひとつの人形を操る。
 一座の公演は、まだ新潟県内に限られている。
夢はいずれ大英博物館で上演することだ。  


Posted by jtw at 13:34Comments(0)