2009年06月18日

飛行機を親と思っている鶴と雁

鶴や雁が 超軽量飛行機を一緒に飛ぶ様子は
写真と動画で 下記サイトに:
http://www.bild.de/BILD/news/leserreporter/2009/06/17/mann-zieht-voegel/kraniche-mit-hand-auf.html

飛行機を操縦するフランス人 動物保護家
Christian Moullec(49歳)は ツルとガンを使って
卵の時から 飛行機の音を聞かせていた。
鳥は成長してからも パイロットと飛行機を親だと
思い込んでいて 後追いするようになった。
この方法は 絶滅の危険のある鳥の種を 保護
するのに 応用できる。
これについて 詳しい情報は:
www.vol-avec-les-oies.com  


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2009年06月17日

60年代までのドイツの児童養護施設・研究者にインタビュー

2009年2月17日発:
ドイツでは60年代まで 数十万人の子どもが施設で
虐待され、自尊心が傷つけられていた。この悲運を
洗い直すためにベルリンで検討会が開かれている。

オネショをした子どもは 濡れたシーツを頭に載せ、他の
子の前を歩かされた。孤独の中に生き、励ましや慰めの
言葉をかけてもらえないでいた 子どもの他に、重労働
させられる少年や 学校へほとんど行けない少年、常時 
虐待され 性的虐待を受ける子どもも居た。

「かつての養護施設の子どもの協会」の会員や 
児童青少年援助 作業グループの会員、施設を運営して
いたキリスト教会の代表者など20人が 当時の施設に
ついて検討している。

Wolfram Schaeferは マールブルクのフィリップス大学で教え、
戦後まもない頃のマールブルクの児童施設養護を研究している。
以下は 彼へのインタビュー:

当時 青少年福祉局の職員も後見人も 機能して
いなかった。施設での困った状態を暴露し、阻止する
専門的監督は存在しなかった。
(ブログ管理人の蛇足:日本でも 児童相談所が施設の
運営について 率先して指導するわけでなく、入所者が
あまりの酷さに訴えた後で 児相が 出てきてくれる
ようです)
60年代までは 施設の子どもは「社会生物学的に
劣等な人間」として記述されていた。
うまくいかないのは 入所している子どもに問題がある
とされ、教育学の機能不全だとは考えられていなかった。
子どもは 教育されるのでなく、「保管」されるものだった。
この考えは20世紀初めに始まり、ナチの時代に展開され、
45年の敗戦後も 優勢だった。

この状況を変えるのに学生運動も役に立った。変革の
他の要因として、ヘッセンにあったStaffelberg児童施設から
30人の子どもがフランクフルトに逃げた事件があった。この子
たちを施設から解放しようという運動がおきた。
ベルリンの児童施設についてUlrike Meinhoffは放送で 
施設がどんな状況かを 公にした。

今はそんな状態は 児童施設には ない。とは言う
ものの 障害をもつ子どもの施設に実習に行った
大学生から そういう施設の困った状態について 
聞いている。

閉鎖された施設での養育は 暴力を生み出す構造を
助成する。絶対的な支配力をもつ職員は 他の組織に 
おける よりも 多くの力を行使することができる。

被害者は しばしば大変なトラウマを受けている。
劣等であり、施設で虐待を受けても当然だと 叩き込まれ
ている。公開の討議と謝罪によって、このような濡れ衣は
はらされなければならない。

当時の虐待に責任を負う組織は 歴史を公開し、
検討すべきである。文書館は公開されるべきであり、
被害者とその代理人も文書を利用できるように される
べきだ。施設での養育の歴史を研究することは 
専門学校・専門単科大学・総合大学において はっきり
とした位置を占めて当然だ。
下記サイトから:
http://www.zeit.de/online/2009/08/heimkinder-runder-tisch  


Posted by jtw at 15:49Comments(0)

2009年06月16日

児童養護施設in戦後まもないドイツ

Peter Laxyは1953~56年の間 Krefeld(クレーフェルト)の
近くの児童施設に居た。その15歳から18歳までの間の
屈辱・暴力・餓えについて50年も経って 初めて語った。

施設から逃げ出して そのたびに捕まった。2日間施設に
居なかったら 4日間 コンクリートのベッドのある格子付き
独房に入れられる。

第2次大戦後、70年代の中ごろまでの間に 約80万人
の子ども(一時的に収容された子を含む)が施設にいた。
2009年2月から政治が このテーマに取り組んでいる。
ベルリンで2ヶ月に一度 当時の施設の子ども、国・州・
施設の経営者だったキリスト教会・青少年局の代表者が 
円卓を囲んで 集まっている。そこでは 謝罪が問題に
なり、被害者への賠償は可能かどうかが 論じられている。
既に 当時の施設の子どもたちの協会(VEH)は
250億ユーロの賠償基金を設立することを要求している。

施設では 罰を受けない日には 給食があった。朝は
代用コーヒー(薄いコーヒー?)とパン2枚、昼食はジャガイモ
と野菜(腐っていて 食べられないことが しばしばだった)、
夕食はパン。
運の悪い日には 夕食はパンの耳だけ。
なので Peterは14歳の時に体重38キロだった。

夜Peterの寝ているところに指導員が来て 部屋の隅に
引っ張っていき、革の上履きにタオルを巻きつけ、タオルを水
につけて その上履きで腕が疲れるまで 彼を殴った。
Peterは頑健だったから 生き延びた。
一人の指導員は虐待だけでなく、男色も好んだが、
Peterは 何とか防衛し、性的虐待は逃れた。

施設に入った日は 手錠がかけられていた。母親が彼を
好きでなかったので、彼をおばの ところへ遣った。
母親は警察に 彼を行方不明の泥棒として届けた。
切符を買う金を家から 持ち出したのが 泥棒と
言われることになった。警察は彼を施設に送った。

入所後 3週間して、労働が始まった。朝5時に起き、
トラクターに乗り、農場経営者のところへ行く。Peterは
凍えるほど寒かった。服は古いフランス軍の服から
作られていた。薄いシャツに、向こうが透けて見える
上着だった。シャツの中や ゴム長靴の中に新聞紙を
入れたが 寒さは防げなかった。
1日に12時間働くことも しばしばだった。日曜も働き、
どんな天候でも働いた。
ラインラントの土地金融組合連合は 彼に 手紙を書いて
きて、労働の報酬は小遣い程度を支払ってと言っている
が、彼は煙草4本をもらっただけだ。
5月に上記の連合は 当時のすべての施設の子どもに 
公式に謝罪し、歴史の洗い直しをすると認めた。被害者に
対して トラウマの治療を申し出た。

Peterは今71歳になり、妻とケルンの近くで 幸せに
暮らしている。
しかし夜 眠れない。施設の思い出は 彼にしがみ
ついて、彼を放さない。今も。
下記サイトから:
http://www.zeit.de/online/2009/25/heimkinder-laxy?page=1

★ダブル ポスティングです
  


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2009年06月15日

針灸治療ではツボでない場所に針を打っても効く@欧州

(欧州の針灸は どうも 日本とは違うようです)

針灸治療において どのツボに針を刺すかは 
たいして意味がない。
ツボを考えないで 針をうつ「偽はり治療」も痛みの
治療として役立っているとAerzte Zeitung(医師新聞)
は報道している。
「偽針治療」では伝統的なツボでない場所にも針を刺す。
デンマークの研究者が3000人以上を扱う13の調査を
分析した。その結果によると、非炎症性関節症の痛みと 
背中・腰の痛みとOPの痛み(手術後の痛み??)に
ついて 正統なツボに針を刺した治療は でたらめに
針を刺した場合と比べ、100点満点で4点高かったに
過ぎない。
正統なツボによる針治療や偽はり治療をした患者と
針治療なしの 患者を比べると、その効果の差は 
15~30点だった。針治療は有効と言える。

下記サイトから:
http://www.onmeda.de/aktuelles/news/akupunktur__einstichpunkt_ist_fast_egal-3522.html

★管理人の蛇足:
もう30数年前、大学病院を退院する前に主治医は
言うてくれました:「あと10年や20年は 治療法は無い
と思う(確かに今でも無い)から 病院めぐりは 止めた
方がいい」。
代わりに何をしたらという助言もなかったですが、
思えば親切で正直な先生でした。
とは言うものの 四肢の関節を時々襲う激痛は
えらいものでして、何もしないわけには いかず
治療法は病院には ないなら 針灸にあるかも
知れずと思って 針灸院めぐりをしました。
東京には 針灸院は多いから 変った先生にも
あいました。
もっとも変だった所は たいへん繁盛していて
ずらりとベッドが並んでおり、患者はベッドに寝て
順番が来るのを待ち、助手が次つぎに針を打って
回るのです。治療を終えた後に「あんたは どこが 
悪いんかね?」と訊かれました。


  


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2009年06月15日

野生生物・希少木材の略奪inマダガスカル

動物密輸出業者や木材マフィアは マダガスカルの政治混乱を
利用して 生物学的にもっとも豊かな国の一つである同国の
保護動物や希少木材を高い値で売りつけている。

ある種の亀は子カメでも闇市場で3000ユーロで売られる。
種は 絶滅が危惧されていれば いる程、値段が高くなる。
動物の密輸出はヤクザ屋さんが支えている。2-3ヶ月前に
警察がある家に踏み込んだところ、保護されている亀と
偽造パスポートが見つかった。この種の亀は成長したのは
3万ユーロ、パーソンズ・カメレオンは2000ユーロ、黄金蛙は80ユーロ
になる。蛙を捕まえる人の手取りは3~6セントなので、
1800%の価格差がある。

野生生物の略奪は 政治的危機に関連している。
マダガスカルの暴力や騒乱状態が 世界中にテレビで
放映され、観光業界は壊滅状態になった。国中で一番
人気の高かった国立公園に今は1日に2-3人の客しか
来ない。以前は300人は来ていた。
観光客が激減すれば 観光ガイドは収入が無くなる。
そうなると、動物密輸出しか 生計の道は無い。

動物だけでなく、熱帯特有の木も大量に売られている。
同国の北東部の森林地帯にある希少木材は 年初から 
少なくとも1億USドル分が 伐採され、主に中国に
輸出された。
ドイツの援助で開設されたMarojejy国立公園は世界遺産
であるが、4月に管理は停止された。その地方は 
まったくの無法状態になり、武装した男どもが 希少木材
を伐採している。木材の輸出を止めるために 環境大臣は
5月に最大の港を封鎖したが、その24時間後に 
大統領の取り巻きの乗った個人ジェット機が首都に到着し、
数時間後には 港は再開された。多くのことは コネで
片付く (和歌山と 似ている)。
下記サイトから:
http://www.zeit.de/online/2009/25/madagaskar-tiere

★管理人の蛇足:
この島の野生生物を見るツアーは 日本でも
売られていました。日本から よりも ずっと近い
欧州からの 観光客は多かったに違いないです。  


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2009年06月14日

先天性色素欠乏症者の受難in東アフリカ

下記サイトに写真11枚。
http://www.stern.de/wissenschaft/mensch/:Ostafrika-Das-Leiden-Albinos/703004.html

写真1.アルビノの皮膚・骨・毛髪は 魔法の飲み物の成分
として 奇跡的な効果があるとされ、アルビノは殺される。
2. 西タンザニアの一つの学校が 去年末にアルビノの子ども
を受け入れた。遅すぎた。2008年に約40人のアルビノが
殺された。
3. アルビノの遺体は35万ユーロで売れるので、組織的に
アルビノ狩りがされている。
4. 魔法使い医者が アルビノの血が黄金を見つける
のに役立つとか アルビノの毛を魚網にいれると漁獲が
増えるとかいう噂を 魔法使い医者が流したので 
去年 殺されるアルビノが増えた。
5. アルビノは メラミンという色素が皮膚に足りない。アメリカで
アルビノは1万人に一人だが、タンザニアでは3000人に一人
である。日光に集中的にあたるのは アルビノにとって危険で 
アルビノの1/6が皮膚癌になる。
6. アルビノは目立つため 長い間 差別されてきた。
教育を受けていない 迷信深い田舎の人は アルビノを
悪魔の子とみなしたり、劣った人とみなしたりしてきた。
7. タンザニアの隣国 ブルンジの裁判所の前で。
ブルンジでは11人がアルビノ殺人事件の加わったとして
起訴されている。
8. 地域の最高検察官は 裁判の時に 地域のすべての
アルビノを 自分の家に宿泊させると述べた。
9.タンザニア政府はアルビノを支援しようと努力している。
全国的にアルビノ殺人者を密告するように要請している。
それで 数百人の殺人者が逮捕された。
10. 右端の男性が ブルンジのアルビノ組織の委員長。
11. アルビノは行動を起こし、啓発キャンペーンをしている。
将来は心配なく 生きていけるようになることを望んでいる。  


Posted by jtw at 12:38Comments(0)

2009年06月13日

児童労働inインド・5歳で石切り場に

経済成長にもかかわらず、インドでは多くの家庭が子どもを
労働力として送り出している。
5~14歳の子ども 約1300万人が石切り場や工場で
1日に最長12時間働いている。

ラジは妹と暗くなるまで働いて 稼ぎは親に渡す。辛い
仕事をして月に8~10ユーロになる。
ガラス吹き工として働く子も多い。マッチ工場、カーペット・
工具・錠前・アクセサリー製造業、鍛冶屋、トタン板製造業でも 
子どもは働く。
14歳以上の子どもを入れると 児童労働は劇的に増える。
1億人に上ると言われている。
年長の子どもは 家庭の召使として働いたり 農地を
耕したりする。
借金が返せなくて子どもを引き渡す親も多い。
瓶拾いをいて食費を稼ぐ子もいる。
乞食をする子もいる。プロの乞食組織があり、子どもを
障害者にして もらいを多くする。

インドには20年以上前から 児童労働禁止法がある。特に
カーペット業界では改善されている。
しかし 11億の人口のうち 約3億人が貧困なので 
児童労働禁止法を実践するのは 難しい。子どもを働かせる
親も 地元の役所も 不正行為と言う意識は無い。
下記サイトから:
http://www.tagesschau.de/ausland/kinderarbeit100.html  


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2009年06月13日

「ゲイの首都」テルアビブでゲイ・パレード

2009年6月12日にテルアビブで 女装のゲイ、色とりどりの
衣装の人々、露出の多い人が 数万人 大通りを
埋め尽くした。
写真10枚が下記サイトにあり。
http://www.spiegel.de/reise/aktuell/0,1518,630160,00.html

近東で最大のゲイパレードであり、レズ・ゲイ・両性愛者・
性転換者など イスラエル人、外国人が ユダヤ教の熱心な
信者の反対にも めげず、平和に祭りに参加した。
観光客誘致にも役立った。
しかし エルサレムでの 同じような催しでは 暴力行為も
あった。
テルアビブは近東でもっともレズとゲイに友好的な町である。
観光業界は この町を「ゲイの首都」として宣伝している。
イスラエルでは 反差別法が2001年から実施されていて、
外国で結婚した同性愛のカップルは イスラエルで結婚届けを
出すことができる。
イスラエルでも テルアビブ以外の場所では 同性のカップルは
婚姻届を留保されたり、拒否されたりしている。
  


Posted by jtw at 13:05Comments(0)

2009年06月12日

日本の英字新聞はどうなる?発行部数減少

The Japan Times, The Daily Yomiuri, The International
Herald Tribune/Ahahi の三紙は1980年代終わりから
1990年代初めに 全盛期で、三紙あわせて1日に1
8万部発行されていたが、今は11万部になったと思われる。
部数減少の理由は:
◎ 日本への関心が減った。
◎ 英語を読む在日外国人の人口が減った。日本人の
   うちで 英字紙に頼る人が減った。
◎ インターネットが普及した。

アジアへの関心は 中国へ移った。日本に来る英語圏の
人も減った。英字紙を購読するホテルからの需要が減った。
保守的な人にとって関心の無い 人権、社会的正義の
ような主題についての記事を 読む人が減っている。
そういう問題を公表する機会も減っている。

「誰が、どこで、何を、どういう風にして」については
報道されることが多いけれど、「なぜ」についての報道を
するには、思考・調査・知恵・釣り合いの取れた見方が
必要とされ、報道しにくい。新聞には「なぜ」を追求する
能力はある。

日本の英字紙の中には 英米の新聞を挟みこみ、
本体はカバーに過ぎないという新聞もある。

ニュースを提供するというより、安い英語教材として
新聞を売るという考えもある。
大学の教室での需要を狙ったりするが、少子化の時代に 
その市場は増えない。なぜ 60~70歳代の日本人の
読者を狙わないのか?

オンライ・ニュースがあれば 印刷体の新聞は消えてもいい
と言うのは まちがいだ。LA Timesの元編集長によると 
オンラインニュースの80%は 印刷体の新聞からのものだ。

NHKが今年から英語ニュースとニュース解説のチャネルを開設
したが、英字新聞の編集者たちは NHKのこの番組を 
政府の宣伝であり、北朝鮮のテレビの水準よりは 
ましな程度だと評価している。

不景気が続き、日本は外国から見て、あまり重要でなく
なりつつあるのだから英字紙は「国内の」読者に読んで
もらえるようにした方がいい。

いい報道をしようとすれば 金はかかる。生活費の最も
かかる国の一つ 日本で報道するのだから 金は要る。

インターネットの上の新聞は 読者が パソコンを扱う知識と
時間と金があることを 前提にしている。一方 印刷体の
新聞は 読者に あまり金やパソコンの知識が無くても、
読める。印刷体の新聞は 広告と購読料で支えられている。
オンラインニュースか、印刷体の新聞か、どちらを重視するか
と言う問題は 地域社会、言論の自由、情報の簡単で
時宜を得た利用とは 何かという 基本的な考えに
関わっている。

◎Eric Johnson, "News you can lose", KANSAI TIMEOUT.
2009年6月号、p8-9. から抜粋。
著者は The Japan Times 大阪支局の副編集長。
この記事は 必ずしも 同社の意見を代表するものではない。


  


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2009年06月12日

ポーランドの国境の理容・美容院/ドイツから客が来る村

Osinow Dolny村に ドイツから買い物旅行に来る
人が多い。隣のドイツよりも 何でも安いから。
なかでも人気の高いのは 30店ある美容・美容院。
村の人口 200人のうち 大半は理・美容師です。
下記で動画が見られます。
http://www9.dw-world.de/tagesvideo/index.php?v=de&s=681&l=&o=0&f=FlashHigh

ポーランドの小さい村の様子を見て 店の看板を見る
のも 楽しい。ドイツ語が分からなくても。
ドイツ、ポーランドでは 散髪屋と美容院は同じようです。  


Posted by jtw at 07:52Comments(0)

2009年06月11日

ホロコースト博物館で撃ち合いinワシントンD.C.

6月10日発:
88歳のネオナチが大虐殺博物館に入り、警備職員を
射殺した。他の警備員が応戦し 88歳の男は撃たれ 
重傷を負った。この博物館は USAの首都に1993年に
開かれた。第2次大戦前と戦中にナチの犠牲になった
約1100万人に捧げられている。犠牲者は ユダヤ人、
ソ連とポーランドの戦争捕虜、障害者、同性愛者、反対派だった。
今までの来館者は約3千万人。
下記サイトから:
http://www.stern.de/panorama/:Washington-Ein-Toter-Schie%DFerei-Holocaust-Museum/703325.html
  


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2009年06月10日

フランス航空機墜落/犠牲者と遺族の哀しみ・同性愛のカップル

マティアス(44歳)は墜落したエアバスの228人の犠牲者の一人。
彼は シュトゥットガルトのファッションデザイナー ホルスト(男性)の
伴侶だった。
エアバス447が行方不明になってから ホルストはテレビの
前に座り続けて 「泳げ、マティアス 泳いでくれ」と
つぶやいていた。
二人のマンションには10本の薔薇が黒い花瓶に
入れられていて、その傍には 焼いたばかりの
リンゴチーズケーキがあった。マティアスがブラジルから
帰ってきたら このプレゼントで驚かせようと思っていた。
マティアスは2週間の休暇で ブラジルに行った。リオにも
パートナーのホルストと共有のマンションを5年前に買っていた。
二人は18年間いっしょにいた。
6月5日には 10本の薔薇は萎れ、ケーキはもう二つ
しかなかった。ひっきりなしに 慰めに来てくれた人たち
が食べたのだ。
ホルストは事故以来、水とコーヒーと少しのスープを飲み 
プレッツェル一つしか食べていない。
二人が 初めて会ったのは 1989年だった。ホルストの
ブティークは当時 既に 繁盛していた。マティアスは近くの
服の店で働いていた。ホルストのパンツは最低300ユーロ、
上着は900ユーロからだった。
1990年に二人は一緒になり、2008年8月に結婚届け
を出した。マティアスはホルストの店で働くようになっていた。
二人が最後に会ったのは 5月15日だった。その日 
ホルストはマティアスのベッドまで 朝食を持っていった。
自分で作ったマルメロのゼリーと白パンとミルクコーヒーだった。
ホルストはアールグレイの紅茶を飲んだ。
マティアスは5月31日にリオから電話してきた。
彼は飛行機は墜落すると言っていつも怖がっていた。
しかし二人はパリやミラノのファッション・メッサに行ったし、
休暇にはブラジルに行った。マティアスは飛行機に乗っている間 
怖くて 鎮静剤を飲んでいたので 墜落する時に 
何も気づいていなかったらいいのだが とホルストは思う。
電話が鳴って フランス航空の職員が心理的な支援が
要るかと ホルストに尋ねた。要らないと答えた。悪天候の
中で飛行したパイロットに 彼は憎しみを持っている。
マンションの上の階への階段の踊り場にブロンズのキリスト像
を置いて その前に蝋燭を立てた。祭壇だ。

警察が来て 浴室の香水の瓶とブラシに炭の粉を
ふりかけた。指紋を取り、DNAの鑑定のための検体を
取るためだ。湯船の傍に 黒い枠の額縁があり 水泳の
帽子をかぶった男の写真が入れられていた。マティアスは
泳ぎが熱狂的に好きだった。
下記サイトから:
http://www.stern.de/panorama/:Opfer-Todesflugs-AF447-Schwimm%2C-Matthias%2C/703018.html
  


Posted by jtw at 21:03Comments(0)

2009年06月10日

酒を飲まされ意識不明になった11歳の少年inドイツ

6月8日に 古都ランツフートLandshutの 鉄道の
ガード下で酒盛りをしていて 少年たちは 11歳の子に
強い酒を飲ませた。
少年は意識を失い、小児病院に運ばれた。警察によると
少年はウオトカと飲まされた。
目撃者の通報で 警察が現場に着いた時に 少年たちは
既に 消えていた。6月9日 現在 少年はまだ入院して
いる。警察は 少年に酒を飲ませた少年たちを捜している。
下記サイトから:
http://www.sueddeutsche.de/bayern/110/471648/text/

★管理人の蛇足:
日本でも 国立大学の学生が 一気飲みを後輩に
させて 強姦したという事件がありました。
  


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2009年06月09日

減量に成功した女性120キロから60キロに

シルビア(28歳)の元夫は彼女のことを「デブ豚」としか
呼ばなかった。
長年 シルビアは太りすぎのために 魂と肉体の両面で
苦しんできた。167センチの身長で体重120キロだった。
階段を登るのも苦行だった。
2008年1月にFDHダイエットを始めることに決心した。
甘い飲み物、ポテトチップス、大量の食事は止めた。
ダイエットの他にフィットネス教室にも行った。栄養コンサルタント
へも通った。
減量するにつれ、自己意識は確かなものになった。
4年失業していたのに、ついに職も見つかった。
2008年末には60キロやせた。元夫を見返せた。「あれは
今 太って、失業していて、女もいない」。

栄養コンサルタント Andreの談話:
コンサルタントや医者に従って ダイエット計画を立てないといけない。
そうでないと 新陳代謝が うまくいかない。
心理的な面も大事だ。太りすぎは 普通は 魂に理由が
ある。食べることを 心配するのも良くない。
下記サイトから:
http://www.bild.de/BILD/regional/ruhrgebiet/aktuell/2009/06/08/von-120-auf-60-kilo-abgenommen/frau-halbiert-sich-selbst.html  


Posted by jtw at 12:34Comments(0)

2009年06月09日

麻薬戦争・アカプルコで18人死亡

メキシコ軍と麻薬組織との戦闘が メキシコで最も有名な
観光地アカプルコであり、16人の麻薬組織員と2人の兵士が
死んだ。9人の兵士が負傷し、5人の組員が逮捕された。
同じ市の警察署が襲撃され、2人の警官が死んだ。

200人の兵士は 6月6日に ホテル街にある一軒の家を
手入れしようとしたところ、その家にいた組員が榴弾や
対戦車砲まで 持ち出し、襲ってきた。

住民は家に閉じこもり、観光客はパニックに陥り、
ホテルに戻った。
手入れの目標だった家を兵士がついに攻略し、中に
入ったら 予期しなかったことだが、4人の警官が
人質になっていた。
その家には 銃36、ピストル13、対戦車砲2、榴弾13、
銃弾3525があった。

メキシコでは麻薬組織同士の戦いが 激しくなっている。
麻薬組織は 国や警察に 徐々に潜入している。
2008年から 麻薬戦争で死んだ人は 少なくとも
8200人に上る。
下記サイトから:
http://www.n-tv.de/panorama/Meldungen/18-Tote-in-Acapulco-article326829.html
この手入れの写真は下記サイトに:
http://www.stern.de/panorama/:Mexiko-Drogen-Razzia-Blutbad/702980.html?cp=1
  


Posted by jtw at 08:33Comments(0)

2009年06月08日

人形浄瑠璃「弘知法印御伝記」新潟で300年ぶり復活

日本経済新聞 2009年6月8日の記事から 抜粋。
(地元の新潟日報には もっと詳しい記事が
でていると思います)

 江戸時代の人形浄瑠璃「越後国・柏崎 弘知法印御伝記」
が7日、新潟県柏崎市の産業文化会館で「越後猿八座」に
よって上演された。
 日本には残っていなかった原本が1963年に大英博物館で
発見された。日本文学研究者のドナルド・キーン氏に
上演を勧められ、新潟県出身の三味線弾き上原誠己さん
(58)が作曲を手掛けた。一座のほとんどが舞台経験の
ない新潟市民で、人形や小道具もすべて手作り。

 御伝記は、同県長岡市寺泊の西生寺に日本最古の
即身仏として安置されている実在の高僧弘知法印の
一代記。

★ブログ管理人の蛇足:
三味線の上原誠己さんは おそらく 文楽に
おられた方なのでしょう。写真が記事についていたら
芸名を思い出せるのに。
新潟と言うと 浅造さん??
  


Posted by jtw at 19:45Comments(2)

2009年06月08日

トンガで臨床実習するドイツ歯学生

南太平洋のトンガでドイツの歯学生の支援は価値ある
ものになりつつあり、学生は実地の経験を喜んでいる。
臨床実習は2ヶ月。トンガまでドイツから30時間かかる。

たいていのトンガ人はトンガ風英語を話すので 学生はトンガ
に来て しばらく経つと「痛み」「つばを吐く」「口を開ける」
などをトンガ英語で話せるようになり、コミュニケーションも良くなる。
「歯学生交換サービス」(ZAD)によるとドイツの歯学生のうち 
1%くらいが 外国で臨床実習をしている。トンガで実習した
学生がウェブサイトに経験を公表し、それを見て 次の
歯学生が トンガに実習に来るというのが 大半だ。

ドイツで8年歯科医師をしていた Meikeは歯学生のころ
から8~10本の歯を抜いただけだが、トンガでは
10週間に900本の歯を抜いた。
トンガでは 治療資材が足りないのと、患者が大変な
痛みを訴えて来院するので 歯は抜かれる。人々は
歯の心配をするよりも 痛みを気にする。
そのうえ、「綺麗な」歯に見えるように前歯に 金で縁取り
したり、前歯の半分を金で覆ったりすることが はやって
いる。若い女性の誕生日プレゼントとして人気が高いのが 
この金歯だ。
金を入れるために しばしば健康な歯に穴をあけることになる。
この金のインレイはあまり 長持ちしないし、また新しく金を
付け直すのは高価だ。そのため 多くの若者の
前歯はガタガタになる。

人口10万人の首都 ヌクアロファの唯一の歯科医院の
衛生状態は良くない。医院に一つだけトイレがあり、それを
患者も医師も使う。トイレのタオルは 歯学生が居た
2ヶ月間 取替えられなかった。
少しでも 良くしようと、ドイツ歯学生は 手袋、マスク、綿球、
麻酔薬、充填材、消毒剤、歯ブラシ、練り歯磨き、
など70キロを トンガに持ってきている。
歯学生は 10社ほどにメールを書き、寄付を頼んだ。
その結果 上記の物が送られてきた。
下記サイトから:
http://www.zeit.de/online/2009/20/tonga-zahnmediziner
  


Posted by jtw at 15:37Comments(0)

2009年06月07日

男同士の夫婦inドイツ

10年前にドイツでは同性の結婚が許された。
ジョンとアルフレッドはまもなく結婚10年を迎える。
48年間一緒にいて1999年に結婚できた。
それまでは いつも自尊心を傷つけられるのが辛かった。
ジョンが1972年に入院した時に 医者はアルフレッドに説明する
ことを拒否した。2002年にジョンが心臓の手術をした時には
二人は夫婦として認められていたので問題はなかった。
しかし死後のことは心配だ。夫婦が年金生活に入る
5年前に結婚していた場合に 妻に死なれた男は年金を
受け取るという条項が 以前の雇用主との間での書類
に書かれている。年金生活に入ったのは93年で、
結婚が許されたのは99年だった。

アルフレッドは フィラデルフィアで生まれ、ニューヨークとサンスランシスコで
生活したことがある。ドイツのシュトゥットガルトでバレーの
ピアニストとして働いた。その後も音楽の仕事をしてきた。
当時ドイツで 同性愛者として生きるのは辛かった。
1962年には 隣室の人が この二人を告発しようとした。
彼は同じアパートに同性愛者がいると耳にして 他の住人に
二人に近づかないようにという請願書を回した。幸運にも
誰も署名しなかった。

ジョンは26歳の時 1961年に同性愛だと言うことが
母親に知られた。当時 彼は両親の家の屋根裏部屋に
住んでいて アルフレッドが彼の部屋に来た時に 同性愛
だということが 親にばれた。その後 両親から拒否された。
アルフレッドはユダヤ人で、ジョンの父親は アルフレッドは
貧しいドイツ人に対するユダヤ人の復讐だと言った。
ジョンの母親は自分が埋葬される時に ジョンが手を
貸さないようにと 牧師に頼んでいた。

1960年代には まだゲイの社会はなかったが、同性愛の
二人が隣同士の部屋を借り 壁を取り去り、一緒に
住むということは あった。
1969年まで 同性愛は5年まで刑務所に入るという
法律があり、14万人が男が判決を受けていた。
60年代には 同性愛のためのバーへ行く勇気のある人、
と言うか、バーへ行くほどまでに絶望していた人は 
バーのドアが開くたびに 警察かと思って震えた。

少年時代を過ごした1950年台は 自主性が無く 
保守的なことが美徳だった。
ジョンは1949年に 同性愛が刑法による犯罪だと知った。
同性愛者は 怪しげで、堕落した性格だとされていた。
アルフレッドは 人々の考えは 自分の問題ではないと
思っていた。
この世に 同性愛の人はいるものだ。一人だけでは
ないと思っていた。
下記サイトから:
http://sz-magazin.sueddeutsche.de/texte/anzeigen/29355/2/1#texttitel
  


Posted by jtw at 15:49Comments(0)

2009年06月07日

蛍@和歌山市周辺

和歌山市内とその近くで 蛍がみられる場所は
大川(加太のトンネルを北へ越えた所)と 大阪の
岬町だそうです。
岬町の川へ 行って来ました。数年前より 減っていますが
数十匹は 飛んでいました。雨が降らない 風の強くない
日に出るそうです。
休耕田が増えて 農薬の使用が 減り、蛍が出るように
なりました。数年まえに ライオンズクラブさんが 蛍を
どこかから もってきて 放してくれた時は 相当な数が
いましたが、今は 少しだけ 生き残っています。
観光用の蛍と 違って 長期間は でません。あと1~2週間で
出なくなるそうです。
近くに住む方が 蛍のいる小川沿いの道の 山際に生える
笹や草を刈って マムシがでないように してくれています。
マムシ、狸、猪、アライグマが 川沿いに住んでいます。

大川でも 蛍がいると言うことを 聞いていますが
行ったことは ないです。
大川は 山の北側なので 大阪府だと 長年 思いこんで
いましたが、和歌山市内です。過疎の集落で 昼間 
行くのにも いい場所です。
報恩講寺さんという 古いお寺があります。  


Posted by jtw at 07:49Comments(0)

2009年06月06日

麻薬に酔って車を運転し逮捕されるinドイツ

トーマス(25歳)はマリフアナを吸うのが好きで、2008年7月28日
にマリフアナに酔って運転していた。パトカーに出会い
時速100キロで逃げ、その後 車を降り、走って逃げた。
走っているうちに マリフアナ入りの包みを投げ捨てた。
検事は26ヶ月の刑を求めた。
既に2007年の末に被告は酒酔い運転で判決を言い
渡されていた。そのときに運転免許は取り上げられていた。
鑑定によると 彼は麻薬を集中的・定期的にやっていた。

トーマスは幼い娘がいて、失業中であるので 裁判官と
民間の裁判員は「最後のチャンス」を与えようと考え、
執行猶予付きの2年の刑にした。とは言え、厳しい
義務を課した。250時間の公共のための労働を
しなければならないし、麻薬を断つプログラムに参加し、
定期的に麻薬の検査を受けなければならない。
1本でもマリフアナを吸えば 執行猶予は消える。
しかし 法廷で供述した後も 彼は時おりマリフアナを吸っている。
下記サイトから:
http://www.sueddeutsche.de/muenchen/466/471010/text/

ブログ管理人の蛇足:
ドイツにも 日本の裁判員に似た民間人が裁判に
加わっているということを 知りました。
麻薬が止めにくいことは ドイツでも 同じようです。  


Posted by jtw at 08:25Comments(0)