2009年06月30日

チェルノブイルの子ども達・大惨事のあった地域で生きる

1986年4月の原子炉爆発後 20年以上たっても、
ベラル-シ(白ロシア)東南部の人々は 見えない脅威に
曝されながら生活している。
Bragin町は ベラルーシの東南部にあり、チェルノブイルから
数キロしか離れていない。
絵に描いたような風景が広がっている:白樺や松の森が
平らな土地に何キロも続き、牛は草原で草を食べている。
コウノトリも飛んでいる。人はほとんど見かけない。大半の
人は20年も前に 安全のために 移住してしまった。
事故のおきた時に生まれていなかった子ども達も
被害者である。14歳のユリアは 甲状腺が悪い。他に 
よく見られる病気は 心臓循環障害と癌だ。
これは放射性物質セシウムによる。セシウムは地面に
何年にも渡って 漏れ出し、植物に吸収され、それを
動物が食べ 最後に住民が食べる。

ユリアの学校の生徒の多くは 卒業しても この汚染された
土地から離れようと思っていない。大半の生徒は
この町に留まりたい。ここは古里だから、あるいは 
引っ越す金がないから。

政府はこの町に 他の地域から働きに来る人に特典を
与えている。町外れに無料で住めるアパートもある。
Bragin町の人は 原子炉の周り 30キロの封鎖地域の
境に住んでいる。
標識に「警告!滞在時間は限られている」と書かれている
場所では、30分以内に 出ないと危険だ。

Bragin町に住む人は 不運と折り合いをつけているが、
2~3週間でも この町を離れることは 特に子どもに
とっては大きい意味がある。
1年に一度 子ども達が外国へレクレーションに行くのは 
特別な意味がある。健康にいい食べ物・汚染されて
いない水・新鮮な空気は 子どもの免疫システムを
安定させる。
子ども達が1ヶ月ドイツに滞在できたら 1年間 いい効果
が残ると ハノーファにある「チェルノブイルの子ども支援グループ」
は言う。
子ども達は 大惨事から23年たっても、自分たちは
忘れられていないのだということに 気づく。

1980年代の終わり頃から ドイツだけでも 多くの組織が 
このような旅行を組織してきた。この20年に20万人の
子どもがレクレーション旅行に参加した。Bragin町の小学校に
行った人は 一度はドイツに行っている。

去年の秋に 子ども達が ベラルーシからドイツへ来られ
なくなった。ベラルーシ政府が反対したためだ。
そこで この春にドイツとベラルーシは協定を結び、子ども達が 
再びドイツに来られるようにドイツは 尽力することになった。
しかし14歳以上の子は 旅行を許されないし、4回以上 
ドイツに来ることも許されない。
ドイツへの旅行は回復のためばかりでなく、人格を
広げる機会にも なっている。ドイツに行って 生きて
いくうえでの 新しい目標をもつようになる。
下記サイトから:
http://www.sueddeutsche.de/panorama/167/472690/text/
  


Posted by jtw at 05:55Comments(0)