2009年06月17日

60年代までのドイツの児童養護施設・研究者にインタビュー

2009年2月17日発:
ドイツでは60年代まで 数十万人の子どもが施設で
虐待され、自尊心が傷つけられていた。この悲運を
洗い直すためにベルリンで検討会が開かれている。

オネショをした子どもは 濡れたシーツを頭に載せ、他の
子の前を歩かされた。孤独の中に生き、励ましや慰めの
言葉をかけてもらえないでいた 子どもの他に、重労働
させられる少年や 学校へほとんど行けない少年、常時 
虐待され 性的虐待を受ける子どもも居た。

「かつての養護施設の子どもの協会」の会員や 
児童青少年援助 作業グループの会員、施設を運営して
いたキリスト教会の代表者など20人が 当時の施設に
ついて検討している。

Wolfram Schaeferは マールブルクのフィリップス大学で教え、
戦後まもない頃のマールブルクの児童施設養護を研究している。
以下は 彼へのインタビュー:

当時 青少年福祉局の職員も後見人も 機能して
いなかった。施設での困った状態を暴露し、阻止する
専門的監督は存在しなかった。
(ブログ管理人の蛇足:日本でも 児童相談所が施設の
運営について 率先して指導するわけでなく、入所者が
あまりの酷さに訴えた後で 児相が 出てきてくれる
ようです)
60年代までは 施設の子どもは「社会生物学的に
劣等な人間」として記述されていた。
うまくいかないのは 入所している子どもに問題がある
とされ、教育学の機能不全だとは考えられていなかった。
子どもは 教育されるのでなく、「保管」されるものだった。
この考えは20世紀初めに始まり、ナチの時代に展開され、
45年の敗戦後も 優勢だった。

この状況を変えるのに学生運動も役に立った。変革の
他の要因として、ヘッセンにあったStaffelberg児童施設から
30人の子どもがフランクフルトに逃げた事件があった。この子
たちを施設から解放しようという運動がおきた。
ベルリンの児童施設についてUlrike Meinhoffは放送で 
施設がどんな状況かを 公にした。

今はそんな状態は 児童施設には ない。とは言う
ものの 障害をもつ子どもの施設に実習に行った
大学生から そういう施設の困った状態について 
聞いている。

閉鎖された施設での養育は 暴力を生み出す構造を
助成する。絶対的な支配力をもつ職員は 他の組織に 
おける よりも 多くの力を行使することができる。

被害者は しばしば大変なトラウマを受けている。
劣等であり、施設で虐待を受けても当然だと 叩き込まれ
ている。公開の討議と謝罪によって、このような濡れ衣は
はらされなければならない。

当時の虐待に責任を負う組織は 歴史を公開し、
検討すべきである。文書館は公開されるべきであり、
被害者とその代理人も文書を利用できるように される
べきだ。施設での養育の歴史を研究することは 
専門学校・専門単科大学・総合大学において はっきり
とした位置を占めて当然だ。
下記サイトから:
http://www.zeit.de/online/2009/08/heimkinder-runder-tisch  


Posted by jtw at 15:49Comments(0)