2009年02月28日

娼婦ドメニカ・疲れを知らない闘士を送る葬列inハンブルク

2月14、15日のこのブログにも書いたDomenicaさんに
ついて 下記サイトに8枚の写真があり 
葬送を報じています。
「聖なる娼婦があるなら それはドメニカだった」。
約500人の友人、知人、元の同僚は 彼女の職場
だったハンブルクのヘルベルト通りを 寒さの中を歩いた。
彼女の写真を持つ人 花束を抱える人もあった。
葬列には音楽隊も加わった。
1970~80年代に彼女は 娼婦として顔だしし、娼婦の
権利のために尽力した。
自覚を持った女性だった。
ミュンヘン、ハンブルクで娼婦として働き、退職後 街頭補導師と
なり、居酒屋を持った。
http://www.stern.de/panorama/:Hure-Domenica-Abschied-K%E4mpferin/656249.html?cp=1  


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2009年02月28日

ユースホステル創設百年@ドイツ/動画

この百年記念の記事は 日本人の興味を引くもので
なさそうですが いくつものサイトに でているので 
ドイツでは 話題になってるのでしょう。
下記サイトに動画があり、白黒のフイルムで昔のユースホステルの
様子が分かります。今は 年配の人も 利用している
ようです。
http://www.tagesschau.de/inland/jugendherberge104.html  


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2009年02月27日

戦争に包囲された難民@スリランカ

スリランカ北東部に約30万人が閉じ込められている。
軍と反政府軍が激しい戦闘をしている。支援組織は
この地域に あまり入っていない。
何ヶ月もの間 彼らは難民になっている。
国際赤十字だけが この地域に入っている。オシメ、
タオル、石鹸、低栄養状態の子供のための食料など
が必要とされている。
毎日 多くの難民が砲火のために死ぬ。
スリランカの女性活動家 Vishakaは シンハラ人
の多数派の属するが、タミル人の退却地(北部)を
よく知っている。この地域で33000人の女性が戦争で
夫を失った。内乱の両陣営が対話するために 
10年前に「戦争の被害を受けた女性の協会」を
Vishakaはつくった。
Vishakaは タミル人の自治権への要求を理解
している。しかし LTTE(タミル・イーラムの解放の虎)
の暴力とテロを厳しく非難する。LTTEには ネルソン 
マンデラを思い出してほしいと 彼女は言う。
政府がタミル人の組織との対話に参加する場合にだけ 
和平がもたらされると 彼女は思う。
下記サイトから:
子ども兵士の写真も あります。
http://www.dw-world.de/dw/article/0,,4052069,00.html  


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2009年02月27日

高価な薩摩鶏盗まれる@ドイツ

総額2万ユーロになる闘鶏19羽が ラインラント・プファルツ州
のLandau市で 夜の間に 檻から 消えた。
1羽千ユーロ(12万円)。
この飼い主は ドイツで唯一の純粋 サツマ鶏の飼育者
でる。
下記サイトから:
http://www.n-tv.de/1110587.html  


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2009年02月26日

60年代の白黒写真・東京、香港、モスクワ、アフリカ

Robert Lebeckは50年以上 世界中を旅した。
その途中で白黒写真を写した。
1952年3月 23歳の誕生日に妻がカメラを贈ってくれたのが
始まりで、標題の写真は ドイツ人を感嘆させた。
当時 極東、鉄のカーテンの向こう側、暗黒大陸は
よその世界だった。
下記サイトで10枚の写真が見られます。
日本で写した写真は 八幡の踊り子さん二人、
部屋には 風呂敷包みがあります。
http://www.zeit.de/online/2009/09/bg-lebeck
  


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2009年02月26日

アイルランドは欧州への麻薬の入り口

アフリカや南アメリカから この島国に密輸される
麻薬は ここから欧州へ配給される。
影響は小さい町にも認められる。
平穏だった町に 二つの麻薬売買組の抗争が
起こり、罪のない市民が 銃を使った抗争に
巻き込まれている。
下記サイトから:
5分くらいの動画もあります。
http://www.tagesschau.de/ausland/weltspiegelirland100.html  


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2009年02月25日

コンゴの孤児院/段ボール箱の赤ちゃん

戦乱のコンゴでは赤ちゃんは 段ボール箱に 一人ずつ
入れられている。
クリスマス以後 コンゴの反乱軍は コンゴとスーダンで
千人を殺し、20万人が難民になった。
下記サイトに 写真があります:
http://www.sueddeutsche.de/panorama/129/456793/bilder/  


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2009年02月25日

2009年02月24日

全てのゲイの血が悪いわけでないのにゲイは献血不可

性同一性障害の男性はドイツでは献血できない。
ゲイの協会は差別だと抗議している。医師会は
正しい規制だと言う。
ミヒャエルは長年 献血してきた。妻と離婚して、男性と
新しい生活を始めて 献血に行き、問診表に
「男と性的関係があった」という所にチェックしたら、
献血を断られた。
ドイツ医師会の基準によると 病気の人、薬物依存症者、
受刑者、娼婦の他に ゲイの男性、両性愛の男性も 
性的行動が危険を伴うもので あろうと なかろうと
献血できない。
次つぎに相手の男を取り替えるゲイは 危険だけれど、
一人の相手しかいない健康なゲイまで 献血させない
のは 差別だと ゲイの協会は抗議する。
医師会の輸血についての方針は 1998年の輸血法に
従ったもので、1993年の血液スキャンダルに さかのぼる。

ゲイを献血から排除する規則は ゲイであると言わない
でおくか、嘘を言うか という結果を引き起こしてしまう。
下記サイトから:
http://www.sueddeutsche.de/politik/779/459421/text/

★ ブログ管理人から:
2年前の今頃 ドイツ語の会は つぶれました.
三回忌を迎え お念仏を唱えたりしてます。

Bloggerというブログに 書いていた頃は 会員への連絡用
でしたが、イコラブログに 引っ越してからは これで
何とか 広報して 新人に来てもらえたら つぶれないで
済むと思って アクセスを増やすために 書いてました。

会がつぶれてからは、アクセスが増えても 会が再開
できる ものでないから 受けが良さそうなカキコミを
しようと思う必要もなくなり 気楽に書いてます。

ドイツに固有のもの 例えば ユースホステル Jugendherberge
についての カキコミについては アクセスは少ないです。
アフリカは 欧州から 近いけれど、日本から遠すぎる
から アフリカについてのカキコミも あまり読まれません。
  


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2009年02月23日

ドイツの森は病気

ドイツの木の2本に1本は病気だということが 
農業省の森林報告書から 明らかになった。
オーク(ナラ・カシの類)の半分以上は障害を呈している。
障害をもつオークは2002年には 半分近くだったのに 
だんだんと病気の木が増えている。
松とトウヒも 障害のある木が増えている。
逆に ブナは、樹冠のまばらな木が少なくなっている
(樹冠のまばら というのは 何のことでしょう?)
重い障害をもつ木の割合は 去年1年で25%から26%に増えた。
農業省は 大気汚染の抑制が必要だと考える。
農業省は 石灰肥料を施すことを 森林所有者に進めている。
環境保護団体WWFは この傾向が続くと オークは 
ドイツの森から数十年後に 消えるだろうと案じている。
下記サイトから:
動画もあります。
http://www.stern.de/wissenschaft/natur/:Waldzustandsbericht-Der-Wald/655519.html  


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2009年02月22日

石垣島から戻らなかった岩崎卓爾

日本経済新聞2009年2月22日
遠みち近みち
特別編集委員 足立則夫
「島から戻らなかった役人」

という記事から抜粋:

明治2年(1869年)、仙台に生まれた。第二高等中学校
(現在の東北大学教養学部)を中退して、札幌一等
測候所に入所。
111年前 中央気象台から石垣島測候所に赴任
したまま、中央への転勤を断り、死ぬまでの39年間
この島に住み続ける。
イワサキゼミなど、この人の名が付いた虫が十種も
いる。「八重山童謡集」、八重山諸島の地理・気象・
民俗・伝説などを載せた「ひるぎの一葉」などを残す。

44歳で妻と7人の子を仙台に返す。
63歳。中央気象台への転勤命令が出ると、辞表を
だし、嘱託として測候所に残る。
所長を辞めた彼のために 島民が寄付を集め
銅像を建ててくれた。
68歳。彼は島で息を引き取った。  


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2009年02月22日

ガザ地区のブログ「SOS子ども村」

このブログの管理人は Kamil el Shami
1952年にガザに生まれ、ハイデルベルク大学で地質学を学ぶ。
今ガザ市大学の教授。ガザの「SOS子ども村」のプロジェクト調整者。
SOS子ども村は 政治的に中立。このブログは
政治討論の場ではない。

その2009年2月20日のカキコミから抜粋:

戦争の始まった日に私は大学にいた。仕事中に近くで
爆発音が聞こえた。部屋の隅は がたがた揺れ、
建物が潰れると思った。外へ走り出た。静かになったとき 
攻撃が政府の建物を狙ったのだろうと思い、車の方へ
行こうとした。SOS村へ行って 無事がどうか 
見たかったから。ところが また攻撃が始まった。
電話も通じなくなった。1時間後に やっと攻撃が終わった。
家では 二人の息子と妻は無事だったが、
娘は学校から戻っていなかった。
家族は開放的で 社会活動をしていた。家族は
学問や言語やコンピュータに関心があった。
パレスティナ人とイスラエル人の抗争について 
家族で話し合ったことはなかった。家に防空壕はなかった。
無力感に襲われ、家族を守れないという罪悪感に
さいなまれた.
そのうちバスが家の前に止まり 娘が降りてきた。

下記サイトから:
http://www.stern.de/blog/index.php?op=ViewArticle&articleId=2111&blogId=75
このカキコミのコメントに「それは どこの戦争の場でも 
同じ」と言うのが でています。
  


Posted by jtw at 17:39Comments(0)

2009年02月21日

アムステルダムの娼婦の飾り窓・カネが尽きる

金融危機と オランダの銀行の道徳的思案のために
アムステルダムの性産業の将来は危ぶまれている。
娼婦の飾り窓の家主や娼館の持ち主に
銀行は金を貸さなくなった。
「息抜き・緊張緩和企業経営者協会」ERBという
歓楽街の企業の利益代弁者団体によると 
銀行が性産業会社の口座を開くのを止めた。
ERBの申し立てによると 性産業経営者は 
だんだんと堅気でない金貸し業者を頼りにする
ようになっている。
これでは いけないので アムステルダムの市議会 
金融担当者は 性産業専門の特別銀行をつくる
ことを提案している。
下記サイトから:
http://www.n-tv.de/1106403.html

  


Posted by jtw at 21:00Comments(0)

2009年02月21日

ユースホステル創設百年inドイツYHは古いイメージと闘う

果実茶をだしたり 安くしたりと言うだけでは客は来ない。
現代的宿屋への道は険しい。
下記サイトに写真20枚、古いのから マッサージサービス
のあるYHまで色々な写真。
コンクリートの管を野外においてその中で寝る 
カプセルホテル風のまである。

Berlin-WanseeのYHで35歳のマリオは「ユースホステルの
父親」であるが、この古い言い方は嫌なので
「ホステルのマネジャー」と自称している。

ドイツ連邦特許裁判所は「ユーゲントヘルベルゲ」(YHのドイツ語)
という商標を 登録から抹消するという命令を1月に出した。
これで商業的ホテルがユーゲントヘルベルゲと名乗ることが
できるようになり、競争が激しくなる。

既に80年代にYHの宿泊者は減り、家族客や
個人旅行者を獲得する努力が始まった。
1989年にバイエルン州の17の「環境YH」では 塩素の
入った洗剤の使用を止め、地元の野菜を購入する
ことにした。
家族・スポーツ・文化・健康を重視する方向に向かった。
今 学校の旅行でYHに来る生徒の割合は41%
になった。30年前は53.5%だった。
家族旅行と 会議の利用が増えている。

廊下にある共同トイレでは客は来ない。各室にシャワー
とトイレが求められる。
ベルリンのマリオの管理するYHも 会議室に 薄型テレビ
があり、バーもある。ネットの端末もついている。

YHの宿泊費は平均16ユーロ。
競争相手の安い宿には 社会的責任という考えは
ないので障害者グループは電話で断られるだろう。
しかし 民間の宿には すばやく反応するという利点はある。
大都会の民営安宿と 全国に散らばる約340のYH
との比較は難しい。競争は大都会でのことだ。
10ベッドもある大部屋は もう少なくなり、大半は2ベッド
のシャワー・トイレつきの部屋になった。
しかし 昔を懐かしむ人も がっかりすることはない。
共同トイレで 6人部屋というYHも 小学校の旅行や 
低予算の旅行者のために 死に絶えていない。
下記サイトから:
http://www.welt.de/reise/article3193141/Die-Jugendherberge-kaempft-mit-Imageproblemen.html  


Posted by jtw at 15:51Comments(0)

2009年02月20日

ブカレストで路上生活する中国人出稼ぎ労働者

ルーマニアの雇用主・建設会社が賃金を払えなくなったため
中国労働者は 中国大使館前で テントを張り
野宿して 大使館に支援を訴えている。
零下6度にもなる。
 
出稼ぎ労働者は 中国とルーマニアの仲介業者に
大金を払って ルーマニアに来ている。
給食を受けているが 川で取ったカにを焚き火で
焼いている写真もあります。

下記サイトに写真12枚:
http://www.stern.de/panorama/:Gastarbeiter-China-Gestrandet-Bukarest/655181.html?cp=1  


Posted by jtw at 08:02Comments(0)

2009年02月19日

チベットで最も人気のあるブロガー・ウーセル

北京在住のチベット人ブロガー Tsering Woeserの
ブログは過去1年に300万のアクセスがあった。
下記です。中国語なので 自動翻訳ソフトを使って
読んでください。
http://woeser.middle-way.net/

去年3月の抵抗運動について 彼女は本を書いた。
この3月に抵抗1周年を記念して 台湾で出版される。

下記はダライラマ法王日本代表部のHPにでている
ウーセルの紹介サイトです。
http://www.tibethouse.jp/news_release/2008/080506_woeser.html  


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2009年02月19日

南イタリアのランペドゥサ島で難民収容所・抗議の放火

難民収容所の難民と警察の衝突で 何人かが負傷し、
チュニジアの難民約百人が 収容所の門を壊そうとした。
そのうちに 難民はゴミなどに火をつけ 収容所の
半分は焼失した。
難民の抗議は前日に始まっていた。300人のチニジア人が
チュニジア国籍の107人の収容者を国外退去させることに 
反対し、ハンストをしていた。
イタリア政府は超満員の収容所の負担を減らすために 
2ヶ月以内にチュニジア人難民を 送還すると 
1月末に発表していた。
毎年 北アフリカから地中海を渡って欧州への
危険な航海をする人が数万人いる。わずか20平方キロの
Lamdedusa島だけで 去年 約31000人の難民が来た。
下記サイトから:
http://www.n-tv.de/1105766.html
  


Posted by jtw at 15:33Comments(0)

2009年02月19日

TUI旅行会社ゲイのための旅行を発売@ドイツ

「ゲイの旅行・世界中を旅する」というカタログが出された。
ゲイの雑誌との共同企画。
高所得者層を対象にしている。
下記サイトから:
http://www.n-tv.de/1105557.html

ベルリンでの ゲイとレズのパレードの写真は下記:
写真の上でクリックすると次の写真がでます。
http://www.n-tv.de/986431.html
  


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2009年02月18日

児童施設の入所者への不当行為inドイツ

1950-60年代の西ドイツの 教会立・国立の児童施設で
50万人以上の子どもが 監禁され、虐待され、自尊心を
傷つけられていた。
今 連邦議会の委員会が 当時のことを根本から洗い
直し再検討することになった。
ソニア(59歳)はこの委員会で次のように述べた:
「施設にいたことを ずっと恥だと思ってきた。施設にい
たことが他の人に分かってしまうと思ってきた。」
「請願者として この委員会に来たのではない。すべての
当時の施設の子どもたちの名において、私たちに
為された不当行為に対し 償いがされることを要求する。」

ソニアは1964年から4年以上 施設に閉じ込められていた。
その理由は 家族の友人が14歳だったソニアを強姦しよう
としたというものだった。男は釈放され ソニアだけ
施設に入れられた。

ソニアと他の少女は 農業、クリーニング、縫い物を
賃金なしで やらされた。教育を受ける機会は まったく
無く 人権は無視された。
手紙は検閲され、拷問に近い非人間的罰を受けた。
規則に違反すれば また監禁された。ソニアはウツになり、
自分が悪いから こうなったと思い、21歳の誕生日に
窓から飛び降りた。何週間も意識不明だったが 
生き延びた。
子どもは軽蔑され すべては キリスト教による養育と
言う名のもとに行われた。

この委員会は カリタス会(ドイツのカトリック系の福祉団体)、
プロテスタントの福祉団体、プロテスタントの教会、カトリックの
司教会議の 代表者からなる。
カトリックの修道院は90年代まで 西ドイツで多くの
児童施設を経営してきた。そこでの性的虐待について 
多くの報告がされている。
委員会は2年かけて 50~60年代にドイツの施設で 
子どもに加えられた不当行為について 洗い直し
再検討する。この委員会設立のきっかけに なったのは 
2006年にシュピーゲル社が出版した「主の御名においての打撃」
という本だった。この本で初めて 当時の施設の子どもの
悲運が報告された。

委員会による調査結果は 証言としての力はなく、
公表もされない。
したがって Bochum大学に 研究調査プロジェクトを
作る資金が提供された。

ハイデルベルクにある「ドイツ青少年支援・家庭権利の
ための研究所」の所長 Thomas Moersbergerは 
今日でもドイツで青少年施設にいるこどもの基本的な
権利が傷つけられていると 述べている。

施設で子どもの頃を過ごした人の協会の会長 
Hans-Siegfried Wiegand は あと2年 調査結果を
楽しみに待っている。
ハノーファの司祭は 教会の施設が子どもたちの意思を
砕いてしまったことを 恥ずかしく思うと言った。
Hans-Siegfiredの心の痛みを和らげる言葉だった。

下記サイトから:
当時の施設の写真9枚も見られます。
子どもと言うより 青年・若い女性が労働させられて
いる場を写した写真です。
http://www.spiegel.de/panorama/gesellschaft/0,1518,608220,00.html

★別のブログのカキコミを貼り付けました。
管理人が同じです。  


Posted by jtw at 15:58Comments(0)

2009年02月17日

ペンギン減少・獲物の魚まで遠くなり

アルゼンチン海岸のペンギンは 気候変動と 大西洋での
漁獲の過多により 雛に餌をやれなくなり、減っている。

マゼランペンギンは 親鳥の一羽は巣に留まり雛と一緒に
いて、もう一羽は一家のために魚を取りに海にでる。
シアトルのワイントン大学の Dee Boersmaの調査によると
海岸沿いの海は 魚の取り過ぎで 魚が減っていて、
そのうえ 気候変動が魚の総数に影響を及ぼして
いるため10年まえと比べ40キロも遠くへ餌を探しに 
行かなければならない。往復80キロ 泳ぐことになる。
これは しんどい。待つ方も飢えに 苦しむ。
研究者は パタゴニアのプンタ トムボで25年以上 調査した。
この22年で ペンギンの集落は1/5も減った。
ペンギンの個体数減少の理由は 気候変動、
魚の取り過ぎ、流出した石油による海水の汚染だ。
下記サイトから:
http://www.n-tv.de/1102229.html
  


Posted by jtw at 14:10Comments(0)