2008年12月16日

アマゾン原住民の権利のために闘う人

Antonio Ferreira da silva Apurinaはアマゾンの密林に
住む14の原住民部族のために働く。
木材伐採業者・牧畜業者・金採掘者による侵害に
抵抗し、原住民が行動するのを手助けしている。
ブラジル政府のインディアン保護局の局長である。
アマゾンの密林はドイツ再統一の前の西ドイツを同じ
くらいの広さだ。
アントニオもインディアンだ。28年前にこの役所に入った時 
インディアン局はインディアンを管理するための軍事政権の
道具だった。
彼は原住民民族連合UNIを設立した。UNIは
ブラジルに社会経済におけるインディアンの声になった。
1995年に彼はUNIから FUNAIに移った。インディアンの
権利 特に土地への権利が彼の仕事の中心に
なっている。
原住民の地域を侵入者から守るのが FUNAIの任務だ。
白人の持ち込む病気で原住民が絶滅する危険もある。
彼の妻は別の部族の出身で 別の言語を話す。
夫婦はポルトガル語で話しするが、子どもは二つの
部族の言語とポルトガル語を話す。
下記サイトから:
http://www.stern.de/politik/ausland/:Menschen%2C-Mut-K%E4mpfer-Rechte-Indigenen/645593.html
  


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2008年12月15日

カーブルにアフガニスタン最初の音楽学校

カーブルがタリバンに支配されていた時、タクシー運転手は
常に二つのカセットテープを車に用意していた。一つは
宗教的音楽のテープで 検問所を通る時のためのもので、
もう一つは検問所を抜けた後に聞くポップ音楽だった。
2001年のアメリカ軍の侵攻の後、タリバンの影響は
減ったが 文化活動の停滞は続く。
Ahmad Sarmastはカーブルに音楽学校を作りたかった。
彼の父は作曲家で オーケストラのための作曲をした
最初のアフガニスタン人だった。Ahmadはアフガニスタン最初の
音楽博士だ。彼はインド、中央アジア、アフガニスタンの音楽を
メルボルンで研究した。
アフガニスタン教育省は彼の助言に従い 音楽学校
開設計画を彼に任せた。
彼は音楽学校設立資金を寄付してほしいと、
世界中の組織に依頼状を書いた。
世界銀行は2500万ドルの出資を約束した。
ドイツの楽譜販売業者協会SOMMは 必要な楽器を
集め、カーブルに送ることにした。
この学校では300人の子どもが学ぶ。定員の半分は
孤児に割り当てる。
伝統的なアフガニスタン音楽のほかに西欧のクラシック
やジャズ、ポップも教える。
ドイツからの最初の輸送は おそらくドイツ軍の
飛行機でクリスマスイブにアフガニスタンに届けられる。
西洋音楽の教師を見つけるのは 極めてむつかしい。
下記サイトから:
http://www.zeit.de/2008/50/WOS-Afghanistan
  


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2008年12月14日

闇夜のジョギング・Lerchesbergの郵便配達人

夜中の1時に新聞を取りに行き、夫婦で仕分けする。
(日本と違って 色々な別の新聞社の新聞を 一人の
配達人が配達するようです)。
55歳のJohannは 肩掛けかばんに入れ、新聞の束を
抱えて暗闇に中へ走り出す。ときには 重さは30キロ
になる。彼は喘息だった。医者は 車が通らない早朝に
外で 運動するように勧めた。花や草のアレルギーが
あったので、森の近くから引っ越した。その頃に偶然 
新聞配達人の求人を知って、採用された。
そのうちに配達地区が増え、今では11キロメーターを走って 
900部を配達する。1部配ると10セントの収入になる。
自転車には重すぎる。リヤカーのような車を引いても 
みたが、不便だった。
輪状の通りでは交差点に車を止め、一人が新聞を
積んだ車に留まり、もう一人は 交差点で車を降り、
走って配る。
2000年から専従の配達人になった。仕事は楽しい。
ドアのところで挨拶してくれたら なお嬉しい。
休暇には 北海へ夫婦で行く。潮風のなかを防波堤
で散歩する。休暇中も夜中に起きて、外へ出ること
がある。浜辺に誰もいない。
下記サイトから:
http://www.faz.net/s/RubFAE83B7DDEFD4F2882ED5B3C15AC43E2/Doc~E8D560006767F4F588FB63BED6894D7E7~ATpl~Ecommon~Scontent.html

  


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2008年12月14日

オランダの大麻販売店「コーヒー店」苦境に

オランダ観光を支え、客寄せの目玉になっている
「コーヒー店」は危機にある。
マリフアナなどの弱い麻薬を売る「コーヒー店」の周りに
多くの強い麻薬の売人が 現れるようになった。
地方自治体の多くは 「コーヒー店」を閉鎖させ、
市の中心部から商業地区へ移したい意向だ。
下記サイトで 動画が見られます。
http://www.tagesschau.de/ausland/coffeeshops100.html  


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2008年12月13日

針治療・刺さないで針の束で皮膚に触れるだけで効く

癌患者215人(放射線治療を受けた後 吐き気を訴える)
についてスウェーデンのLinkoeping大学のAnna Enblomの
調査によると、針治療は刺さなくても効いた。
伝統的な中国の針治療のやり方での 針治療は100人
のうち95人について 吐き気を軽くした。
別の針治療 すなわち 先の尖っていない針を束にした
針で皮膚を触れるやり方で 皮膚に刺さないやり方でも 
まったく同じ効果があった。
これに対し、普通の医学部で教える処置によると 
患者のわずか1/4にしか 苦痛軽減 効果はなかった。

針治療の効果は 方法それ自体に起源を求められる
というよりも、針師と患者の対話があること、針の束で
皮膚を刺激されること、緊張の緩和のために時間を
もてること など、十分に心遣いされることが 
効果を高めることになる。
針治療の方法のどの部分(構成要素)が 吐き気を
軽減するかを 今後 追究したいとEnblomは言う。
下記サイトから:
http://www.n-tv.de/1061792.html

★「触るだけの針」というのは 中国の梅花針に似て
いるのかも知れない。梅花針は 数本の短い針を 
小型の金づちのようなプラスチックの土台に植えている
ものに 15センチほどの柄を付けた道具です。


  


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2008年12月12日

「ドクター犬」が病気の子どもをなおすinドイツ

動物保護者Renate Thyssen-Henneの運営する
支援組織SOS計画は Rotttenbuchの近くに 
犬と子どものための「太陽の家」を作った。
愛情に満ちた犬と接して 子どもの魂は安らぐ。
ここで70頭の犬は スペイン領カナリア諸島のテネリファ
Teneriffaの悲惨な状況から救出された犬だ。
この犬は新しい飼い主が見つかるまで「ドクター犬」
として働く。
慢性の病気の子どもやトラウマを持った子どもが 
この家にくる。
子どもは人間に懐いている犬とじゃれたりして、
自信と 生きる喜びと慰みを 心の中に入れていく。
ここの犬もまた 少しはハンディをもっていて、
辛い経験をしてきている。犬は それでも 生きる
喜びを見出していると いうことを 子どもたちは 
分かっている。それは 子どもにとって、大きな
動機付けになる。
太りすぎの子どもにも 犬は役に立つ。犬が居る
お陰で子どもは パソコンから離れ、外で運動する。
下記サイトから:
http://www.bild.de/BILD/muenchen/aktuell/2008/12/12/aktion-sos-projects-von/renate-thyssen-henne.html

★テネリファという島は アフリカから欧州へ逃れてくる難民が
目指す島で そこに辿りついた難民のことは 時々 
ドイツのメディアで みかけます。その島の犬が 
悲惨な状態なのは なぜだか サイトを見ていれば 
そのうちに また 分かるかもしれません。

  


Posted by jtw at 18:14Comments(0)

2008年12月11日

中国の反体制派Hu Jiaにサハロフ賞

2008年10月23日発:
(ずいぶん前の記事です)
Sacharow賞は 言論の自由についての賞。
Huは中国の治安のために逮捕され、「オリンピックの囚人」
として有名になった。
清廉潔白さと 市民として自己の信念を述べる勇気を
示す模範とされる。
ドイツのメルケル首相は 中国訪問中に 外交的慎重さを 
後回しにして、この受賞を公式に讃えた。
この受賞は 中国の多くの無名の人権運動家を
励ますことになる。
経済大国 中国は 人権を損ねてはいけない。
中国の国内総生産の成長とは 無関係に 
Hu Jiaのような人々は尊敬されるに相応しい。
下記サイトから:
http://www.sueddeutsche.de/politik/383/315276/text/
  


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2008年12月10日

母子応急保護所inドイツ(昨日の続き)

ある女性がSchoenowにある「ひまわり子どもの家」に来て
何も言わずメモを差し出した:「ここで匿名で出産できる
でしょうか。出産できるなら ここに居て、できないなら 
どこかへ行きます」。
彼女はこの家に協力している病院で出産し、2-3日
入院し、子どもは置いて行った。
たいていの女性は家にも、夫にも、村にもしらせないで
と言う。多くの女性は赤ちゃんを養子縁組に出す
ことについて納得してくれる。ここで助言を受け、
子どもの個人データを預けて去る。母親が誰か、
なぜ母親は去ったのかが分からないと 子どもは
苦しむを思うから、子どもが大きくなってから読むよう
にと手紙を残していく。

たいていの女性は暗い時に来る。アンナもそうだった。
白ロシア出身で、編み針で堕胎しようとした。父親が
ヒモにアンナを売り、彼女は6カ国を渡ってきた。
この家に来て 赤ちゃんを手放さないことにして、
子どもを連れて白ロシアの父のもとに帰った。
シエラレオネの女性はホームレスで、金も何の書類も無く、
婚約したドイツ人の男に捨てられた。その後、ひまわり
の家との連絡も途絶えた。強制送還されたのだろう。

「ひまわり子どもの家」に反対する人は多い。匿名の
出産は禁止されているからだ。
匿名の出産は 子殺しを防止するのでなく、捨て子を
するという安易な考えを助長するという反対意見もある。
そのほかに 子どもの素性(すじょう)を知ることについて 
父親の権利と子どもの権利が 損なわれるという
反対意見もある。
しかしシスター・モーニカは淡々と答える:「これは理想的な
方法ではない。世の中に白と黒だけが あるわけでない。
灰色の領域の援助者としてやっているのだ。私たちは
今の制度に代わるものではない。ただ補っているだけだ。
両親が誰だか知っている方が 子どもにとって良いし、
両親のもとで 育てられた方がいい。しかし生きると
いうことは そうでない こともある。」

絶望すると人は 他人の営業時間など念頭になくなる。
この家の電話は夜中も夜明けにも クリスマスにも 
夏休みにも 鳴る。
ひまわりの家に 少しだけれど援助者はいる。無料で
母子を診療してくれる医師もいる。寄付してくれる人が
いる。この家に来た女性を 匿名で出産させてくれる
病院もある。
1999年からモーニカとそのチームは 400人の母子を
世話してきた。
うまくいかない場合もある。雪の積もり始めた頃に
少女が電話してきて、モーニカは迎えに行き 彼女を
直ぐに病院に入れた。ひまわりの家で彼女は
気をとりなおし、友人も来て、「みんな手伝うからね」と
言ってくれ、彼女は子どもを手放さないで済んだ。しかし
今 彼女は刑務所にいる。いくつもの役所の世話に
なっていたのだが、孤立感に苛まれ、おかしくなって、
役所も友人も離れていった。そして子どもを殴り殺した。
彼女は刑務所からモーニカに時々 手紙を書いてくる。

2-3週間まえにも一台の車が ひまわりの家の前に
止まり、管理人に赤ちゃんを手渡した。その日の朝に
生まれた子だった。管理人は彼女の名前や 思い出す
手がかりになる品はないかと 尋ねたが 彼女は 
ただ泣くばかりで、何も言わずに去った。この赤ちゃんは 
児童相談所に保護されている。
下記サイトから:
http://www.stern.de/panorama/:Kinderhaus-Sonnenblume-Erste-Zuflucht/647987.html

◎この施設のホームページは下記です。自動翻訳ソフトを
使ってみてください。変な日本語がでてきますが
ないよりましです。
www.kinderhaus-sonnnenblume.de
  


Posted by jtw at 17:32Comments(0)

2008年12月09日

母子応急保護所inドイツ

ブランデンブルク州 Schoenowに 妊娠した女性や 出産した
直後もはやなすすべを知らない母親のための「ひまわり
子どもの家」がある。数百人の子どもが ここから
人生を始めた。もしかして生きていなかった子どもたちだ。

この家に来る女性はインターネットで この家の住所を知る。
どこで産むか、生まれた子どもを どうしたらいいか
分からなくなった女性が 子どもを殺したり 捨てたり
する前に ここに最後に保護を求めてくる。

1998年までは 非嫡出子を殺しても 嫡出子を殺した
場合と比べ、刑罰は軽かった。しかし今では非嫡出子
を生んでも、たいへん若く母親になっても、女性は
恥じなくていい。助けてくれる場所は多い。けれども 
なおドイツ全国で 殺された赤ちゃんが見つかる。
専門家によると見つけられない 赤ちゃん殺しは多い。

マーラは妊娠6ヶ月になった。胎児の父親は堕胎しろという。
医者にかかっていない。胎児の父は上司なので 
医師から会社へ通報されたら困る。
インターネットで解決策が見つからないかと 幾晩も
パソコンの前に座っていた。マーラは30歳代の終わりで、
課長で、いい教育を受けていて、魅力的な人だ。
出産の直前に1年間の休暇に入った。社宅の居間で
産んだ。自分でへその緒を切り、産湯も自分で用意した。
3日目の夜 車でハノーファからブランデンブルク州の
「ひまわり子どもの家」に向かった。(一つの州を越えて
走るので200キロ以上ある?)
不安と絶望感でいっぱいだった。なぜ彼女は援助を
求めなかったのか? それは彼女の成育歴にかかわる。
父親は母や子どもを さんざん殴った。児童相談所も
教師も警察も それを知っていながら 誰も助けては
くれなかった。だから出産にも 助けを求めなかった。

モ-ニカはフランシスコ会修道女で18年前にベルリンに出て 
ホームレスのためのスープ提供所を作った。1999年に
シスター・モーニカは「ひまわり子どもの家」を始めた。
3階建て、6室あり別館に客人用の部屋や集会所
がある。
来た人は泊まれる。営業時間は 常時。ベッドと食事
はある。医療と心理的な手当てもある。
質問はしない。非難しない。警察は呼ばない。名前も
言わなくていい。不法滞在の人であっても通報しない。
産んだ子を育てられないなら養子縁組に出せる。

この家に来る たいていの女性は望まなかった妊娠を 
長い間 意識から排除してきた。
周りの人も妊娠に気づかないこともある。
女の子が狭いアパートで母親と二人で暮らしていて、
ダブルベッドで一緒に寝ていても 母親は娘の妊娠に
気づかないという例もある。
ある日 少女は「学校の旅行に行く」と言って、
シスター・モーニカのところへ来る。子どもを産んで 数日 
休養し、家に帰る。「学校の旅行は楽しかった?」
と母親は尋ねる。
(続きは明日)
★ ブログ管理人の意見:
この記事には 養子縁組のことを言っていて、里親に
預けることは言ってませんが、ドイツでも 養子と里子は 
よく混同されるから この家から里子にでる子もあると思う。
下記サイトから:
http://www.stern.de/panorama/:Kinderhaus-Sonnenblume-Erste-Zuflucht/647987.html  


Posted by jtw at 13:28Comments(0)

2008年12月08日

大麻も娼婦も10年で半減へinアムステルダム

市当局は娼館と ハッシシ・マリフアナを吸わせるコーヒー店を
半減させるこのにした。
これにより 古都を観光客にとって もっと魅力的な
ものにし、同時に犯罪組織を抑えられる。
再開発後も200の飾り窓(娼婦の入っているショ-ウインドウ)
と30のコーヒー店は残る。
元々文化的魅力の多い町であり、アムステルダムへ
行くのは きまり悪いことだと思わなくて済むことになる。
マリフアナが自由に売られる娼館・ゲームセンター・コーヒー店は
犯罪を助長するので、そういう場を制限しようという
のが市当局の意図だ。
この分野の企業は麻薬業者と人身売買業者に
よってマネーローンダリング(資金洗浄)のために
利用されている。
娼館やコーヒー店のある地区を10年かけて再開発し、
ホテル・レストラン・商店を誘致するのに 市は3千-4千万
ユーロを投じる。この再開発の結果、失業する娼婦
やハッシシカフェの職員は支援を受ける。
将来 売春は2地区だけで許可される。この地区は
17世紀から売春の中心だと見なされてきた。
12月初めから「魔法のマッシュルーム」といわれる幻覚を
起こすキノコの栽培と販売は違法とされることになった。
下記サイトから:
http://www.sueddeutsche.de/,ra8m1/panorama/909/450629/text/

  


Posted by jtw at 08:32Comments(0)

2008年12月07日

欧州の鳥の声を曲に取り入れた作曲家

作曲家Olivier Messiaen(1908-1992)は鳥の声の
虜になり、700種の鳥の声を聞き分け、作品の中に
鳥の声を取り入れようと努力した。
★下記のサイトで コウライウグイス Pirol など6種の
鳥の声が聞けます。

鳥の心臓の鼓動は 人間の鼓動よりも速い。
そのために鳥の声のテンポは速く、ピアノやバイオリンの
ような楽器で再現できない。そこで Messiaenは
鳥の声を 人間の心臓の鼓動に合うように 
置き換えて 音楽に入れた。
ヨーロッパコマドリ、クロウタドリ、ウタツグミ、ヒバリなど6種の声を
2分間以上取り入れた曲も発表した。
ノスリ、シャクシギ、モリフクロウなど歌鳥でない 鳥の声を取り
入れた曲は1956-58年に発表した。

http://www.faz.net/s/Rub80665A3C1FA14FB9967DBF46652868E9/Doc~E904F5FFCA631484287529F0082BF84E2~ATpl~Ecommon~Scontent.html
  


Posted by jtw at 09:53Comments(0)

2008年12月07日

韓国のトキの里

産経新聞 2008年12月6日 黒田勝弘ソウル支局長
の囲み物 記事から 抜粋:

トキ(朱鷺)を韓国では「タオギ」という。朝鮮半島にも
いたが1979年、南北非武装地帯での目撃を最後に
いなくなった。
「タオギ」は日本語の「トキ」に通じる。おそらく元は
同じと思われる。
トキのもう一つの漢字である「鴇」は日本語読みで
「ホウ」、中国語読みで「バオ」 だから「タオ、ほう、バオ」
で共通する。
韓国では鳥の名前に「ギ」がよく付く。カモメは「カルメギ」
カリ(雁)は「キロギ」でこれも「キロ→カリ」。
ハト(鳩)は「ピドゥルギ」だから「ピドゥ→ハト」か?

5月の韓中首脳会談の際、中国から約束されたトキが
先ごろ韓国に贈られた。それが今、湿地保全など
生態系保護に力をいれているセンターで飼育されている。
佐渡とのトキ交流も計画中とか。  


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2008年12月06日

ネットサーフィンは老人の脳を活性化する

インターネットでホームページを見て回ることは老人を 
精神的に健康にする。
ネットサーフィンをすることは 脳の大事な部分を活性化し、
訓練する。読書よりも 活性化する程度は強いと 
カリフォルニア大学ロスアンジェルス校のGary Small
(UCLA加齢センター所長)を中心とするグループが報告した。
ただし それは 既にパソコンをよく知っている老人に
ついてだけ 当てはまる。
機能的MRT(fMRT)を使い 55-75歳の男女24人の
脳の活動を分析した。
新しい技術を使うことが どんな肯定的・否定的な
効果を 老人の脳に与えるかを 今後 探究すべきだ。
技術の批評家 Nicolas Carrは 数週刊まえのThe
Atlantic誌で インターネットは人をアホにすると述べた。
誰でも ネットで何でも すぐに見つけられるので 
認知は浅くなる。知識は蓄積されず、ただ消費され 
忘れ去られる。
下記サイトから:
http://www.n-tv.de/1042088.html
  


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2008年12月05日

教会のまぐさ桶に捨て子inドイツ

12月4日発:
シュヴァーベン地方のPoettemeにある 教会のクリスマス用クリッペ
(キリスト降誕の馬屋の場面を表現した模型)の中に捨て子が
いるのを主任司祭は見つけた。
州の役場の代表者は 里親はもう見つかったと述べた。
38歳のルーマニア人の母親は 赤ちゃんを産んで直ぐにクリッペ
に置いた。
低体温で見つかった赤ちゃんは今 新生児集中治療室に
いて、健康だ。
赤ちゃんが どのくらいの間 里親のところに居るかは
はっきりしない。実の母親が子どもを引き取りたいのか、
子どもの世話をできるのか、にかかっている。
郡の児童福祉局の局長によると、役所としては母親と子どもを
一緒にするというのが 最優先の目標になっている。
警察によると、母親は出口のない個人的な 差し迫った苦境に
あった。それで 子どもを教会へ持っていった。教会では 
すぐに見つけてくれて、世話してくれると母親は思った。
発見者の司祭は「赤ちゃんをまぐさ桶の中に見つけた時、
3週間早くクリスマスが来たかと思った。素晴らしい特別の経験
ではあったが、背景にある母親の苦境は 痛ましく悲しい」と
述べた。移住してきた母親の絶望と赤ちゃんにとって 
解決策がみつかるように 司祭は願っている。
下記サイトから:
http://www.welt.de/vermischtes/article2827106/Findelkind-Christian-kommt-zu-Pflegeeltern.html

★別のブログにカキコミしたのを貼り付けました  


Posted by jtw at 12:59Comments(0)

2008年12月04日

子どもは守られていたい

子どもの願望と不安は大人の問題を反映している。
子どもが家庭の温かさを望む度合いは 明らかに増えている。
6歳から12歳の子どもは 友達付き合いをもっとも
大事だと思っている。

ドイツの子どもは守られていたいと言う気持ちや
信頼感を強く求めている。特に 家庭の中で
そういう望みを持っている。
UNICEFとベルリンのGeolinoという雑誌が ドイツの
6-14歳の子ども911人と 6-12歳の子をもつ母親
706人に面接して調査した。

進んで人助けをする気持ちや公正さも 子どもに
とって高い価値を持っている。
そのような価値観を 誰が子どもに伝えるべきかと
言うと まず親が挙げられる。

両親や身内が 病気や離婚のために居なくなる
ことを約1/4の子どもは心配している。親が失業したり、
収入が減ったりすることも 子どもは心配している。
このように子どもの心配は大人の社会的問題を
反映している。

子どもは友達付き合いを大事だと思っているが、
年齢によって考え方は違う: 6-10歳の子は
「一緒に遊ぶこと」を大事だと言い、年長の子は
お互いに信頼しあい協力しることを望んでいる。
12-14歳の子は相互理解が支援活動よりも
大事だと思っている。
下記サイトから:
http://www.zeit.de/online/2008/49/werte-kinder-studie  


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2008年12月03日

ファーストフードはアルツハイマー病を促進

ハンバーガーやフライドポテトばかり食べていると
アルツハイマーのなりやすいか どうか?
ストックホルムのカロリンスカ研究所のSusanne Akternと
同僚は 遺伝子操作したマウスに9ヶ月の間 甘い
脂肪の多い コレステロールの高い餌を与えた。
その後 マウスの脳を調べたところ アルツハイマーの患者の
脳におきている変化と 似た 化学的変化が あるのを
発見した。
脳細胞の機能を妨害する リン酸塩の増加が観察された。
他には 記憶能力にとって重要な 脳蛋白質の量が減っていた。
下記サイトから:
http://www.bild.de/BILD/ratgeber/gesund-fit/2008/12/01/fast-food/foerdert-alzheimer-burger-pommes-hot-dog.html

★管理人のコメント:
9ヶ月もこんな餌だけ食べさせられたら 病気になるよ。  


Posted by jtw at 13:47Comments(2)

2008年12月02日

白熊クヌート・ベルリンを去ることに

いつスーパースターのクヌートが引越しするか はっきり 
しないが、引越しは確定的で、2010年にはもう 
ベルリンにいないだろう。
Neumuenster動物公園がクヌートについての権利を
持っている。父親のラルスが その動物園の出身だから。

スウェーデンの動物園からも問い合わせが来ている。

クヌートの元飼育係 トーマスさん(9月に心筋梗塞で亡くなった)
は生前 こう言っていた:
「別の素晴らしい動物園へクヌートが行ってくれたらいいと
思っている。同じ熊と付き合って ひょっとしたら子どもも
産めるかもしれない。人間との密接な絆は捨て、
白熊として生きるべきだ。」

クヌートのお陰でベルリン動物園に入った おみやげ代や
入場料の売り上げ500万ユーロ以上について、
Neumuenster動物園は 取り分を得る権利があると
主張しているが、それについて2009年5月に
法的に決着がつく。

写真は:
http://www.bild.de/BILD/berlin/aktuell/2008/12/01/eisbaer-knut/verlaesst-berlin.html

動画は:
http://www.stern.de/wissenschaft/natur/:Zoo-Star-Eisb%E4r-Knut-Berlin/647626.html
  


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2008年12月01日

「心の言葉」/お互いの理解のための国境のない言葉

★「お互い」は 和歌山弁で 「ごたがい」になります

Bertelsmann(ドイツに本社を置くメディア企業)の理事長
Liz Mohnは理解と人間性をを伝える言語を夢見ている。
エスペラントでなく、心の言葉だと言う。
この言葉を習得するには 心を陶冶することだ。

今までの人生で 愛が多くの制約を乗り越えさせてくれた。
愛は学んで身につけるものだ。愛を両親の家庭でもらった。
特に母親から愛を知った。母は戦争の後に5人の子どもを
育てた。いつも歌っていて、楽しそうだった。母が他人の
悪い点について話すのを聞いたことがなかった。それは
子どもにも 不気味なことだったが、母は誰に会っても 
良い点を見つけた。
愛、根源的な信頼、守られているという気持ちだった。
愛は その人がいなくなって 初めて分かるものだ。

ブレーメンの近くに「子ども脳卒中の支援会」と協力して
ドイツ脳卒中援助財団は「親と子の介護施設」を建てた。
そこで出会ったErikという少年は頭蓋冠を手術のために
開けたので ヘルメットを被り、車椅子に乗っていた。彼に 
どうして ここに来るようになったのか 尋ねた。彼は
脳卒中の発作のことを語り終えて、泣き始めた。
「明日 手紙をかいて、小包を送ったら、泣き止む?」と
訊いたら、微笑んでくれた。
お互いに親しくなるには、分かち合うことを学ぶことだ。

Liz Mohn(67歳)は 1982年に Bertelsmannの
本クラブで電話交換手として働き始め、そのコンツェルンの社長
Reinhard Mohnと1982年に結婚した。
下記サイトから:
http://www.zeit.de/2008/42/Traum-Liz-Mohn-42  


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