2008年12月22日

佐野エンネ・日本に生きたドイツ女性

エンネさんは1933年(昭和8年)32歳の時に日本に来て
翌年日本人学者を結婚し、1995年に93歳で亡くなるまで
60年以上を日本で暮らした。
2008年にベルリンの日独センターで
「佐野エンネ、日本に生きたドイツ女性」という 
里帰り展が 開かれた。

日本に行ったのは京都のドイツ文化研究所のドイツ語
講師として働くためだった。
エンネさんが日本に向かったのは ナチの政権掌握
の直後だった。
混乱期のドイツから日本にきたエンネさんは
昭和8年当時の「古き良き日本」の調和に満ちた
生活に強い印象を受け、その好印象は時代が
変わっても 変わらなかったという。
第二次大戦中 岐阜県の田舎に疎開し、自給自足
の生活を始めた。村人にパンの焼き方を教え、
ドイツ料理の講習会を開いた。
戦後も岐阜に留まり、農業を営み、岐阜や愛知の
大学でドイツ語とドイツ人の考え方を教え 
ドイツの雑誌に報告を送った。
詳しくは
佐野エンネ著「日本に住むと日本のくらし」樹心社。
長女の川端春枝著
「旅立つまでの旅、母がいたドイツ」御茶ノ水書房。

以上 永井潤子”舞踏会の手帖”、月刊「未来」
2008年12月号から抜粋。  


Posted by jtw at 20:22Comments(0)

2008年12月22日

解雇され絶望した人々・古里へ大移動@中国

出稼ぎ労働者は 長年 中国経済の奇跡を生み出す
原動力だったのに、今は 大都市の駅に群がり 
故郷への列車を待つ。職も 金も 将来の見通しも無く。

Liは上海の近くの金属工場で月収200ユーロで働いていた。
家族は地震の被災地 四川省にいる。工場は
12月9日に閉鎖された。景気のいい頃は1日12時間の
交代制で働いた。

Fuも上海の駅で列車を待っている。彼は建築現場
にいた。同僚の8割は故郷へ帰る。来年はもっと
景気が悪くなるだろうと思う。

中国政府によると、1千万人の出稼ぎ労働者が
失業した。これは 全ての出稼ぎ労働者の1割にすぎない。

雲南省のZhaotong市では 米と穀類の消費が
急激に増えた。市当局は 食料への需要が増えて
いるのを感じている。来春までに 更に20万人の
出稼ぎ労働者が戻ってくると 市では計算している。
出稼ぎ労働者の多くは 田畑の耕し方も知らない。
出稼ぎ労働者の子どもは15-16歳で、学校を出た
ばかりだ。地元の役場では 継続教育を行うよう
努力している。

40歳のWangは 四川省の家に長くは留まらない。
旧暦の正月のあとに また都会へ行く。3人子どもが
いて、十年患ってる母親もいる。だから 都会へ
出て稼ぐ責任がある。
下記サイトから:
http://www.tagesschau.de/wirtschaft/china542.html



  


Posted by jtw at 14:06Comments(0)