2008年12月09日

母子応急保護所inドイツ

ブランデンブルク州 Schoenowに 妊娠した女性や 出産した
直後もはやなすすべを知らない母親のための「ひまわり
子どもの家」がある。数百人の子どもが ここから
人生を始めた。もしかして生きていなかった子どもたちだ。

この家に来る女性はインターネットで この家の住所を知る。
どこで産むか、生まれた子どもを どうしたらいいか
分からなくなった女性が 子どもを殺したり 捨てたり
する前に ここに最後に保護を求めてくる。

1998年までは 非嫡出子を殺しても 嫡出子を殺した
場合と比べ、刑罰は軽かった。しかし今では非嫡出子
を生んでも、たいへん若く母親になっても、女性は
恥じなくていい。助けてくれる場所は多い。けれども 
なおドイツ全国で 殺された赤ちゃんが見つかる。
専門家によると見つけられない 赤ちゃん殺しは多い。

マーラは妊娠6ヶ月になった。胎児の父親は堕胎しろという。
医者にかかっていない。胎児の父は上司なので 
医師から会社へ通報されたら困る。
インターネットで解決策が見つからないかと 幾晩も
パソコンの前に座っていた。マーラは30歳代の終わりで、
課長で、いい教育を受けていて、魅力的な人だ。
出産の直前に1年間の休暇に入った。社宅の居間で
産んだ。自分でへその緒を切り、産湯も自分で用意した。
3日目の夜 車でハノーファからブランデンブルク州の
「ひまわり子どもの家」に向かった。(一つの州を越えて
走るので200キロ以上ある?)
不安と絶望感でいっぱいだった。なぜ彼女は援助を
求めなかったのか? それは彼女の成育歴にかかわる。
父親は母や子どもを さんざん殴った。児童相談所も
教師も警察も それを知っていながら 誰も助けては
くれなかった。だから出産にも 助けを求めなかった。

モ-ニカはフランシスコ会修道女で18年前にベルリンに出て 
ホームレスのためのスープ提供所を作った。1999年に
シスター・モーニカは「ひまわり子どもの家」を始めた。
3階建て、6室あり別館に客人用の部屋や集会所
がある。
来た人は泊まれる。営業時間は 常時。ベッドと食事
はある。医療と心理的な手当てもある。
質問はしない。非難しない。警察は呼ばない。名前も
言わなくていい。不法滞在の人であっても通報しない。
産んだ子を育てられないなら養子縁組に出せる。

この家に来る たいていの女性は望まなかった妊娠を 
長い間 意識から排除してきた。
周りの人も妊娠に気づかないこともある。
女の子が狭いアパートで母親と二人で暮らしていて、
ダブルベッドで一緒に寝ていても 母親は娘の妊娠に
気づかないという例もある。
ある日 少女は「学校の旅行に行く」と言って、
シスター・モーニカのところへ来る。子どもを産んで 数日 
休養し、家に帰る。「学校の旅行は楽しかった?」
と母親は尋ねる。
(続きは明日)
★ ブログ管理人の意見:
この記事には 養子縁組のことを言っていて、里親に
預けることは言ってませんが、ドイツでも 養子と里子は 
よく混同されるから この家から里子にでる子もあると思う。
下記サイトから:
http://www.stern.de/panorama/:Kinderhaus-Sonnenblume-Erste-Zuflucht/647987.html  


Posted by jtw at 13:28Comments(0)