2008年08月28日

アフガニスタンの子をドイツで手術するドイツの組織(上)

2008年7月8日発:
アフガニスタンの医療は惨憺たるものだ。病人や大怪我を
した子にとって 状況は しばしば絶望的だ。
ドイツでの長期の治療を終わり、カーブルへ帰る子供たちに
Sternの記者は ついて行った。

Nesarは4歳、1年以上ドイツにいた。手術を受け 
ホストファミリーの下で養生していた。全身の皮膚の
ほとんどが火傷を負い ドイツで皮膚移植を受けた。
ハンブルクから帰国したのは2008年6月だった。

「子どもは私達を必要とする」という組織は 2001年
から 重傷を負った子や病気の子の医療と看護を提供
してきた。その費用は寄付による。怪我や病気で弱った
子どもは 直行のチャーター便で 運ばないといけない。
チャーター便の費用は11万ユーロ(1760万円)。
この組織は約500人の子どもを助けた。ドイツ全土の30
の専門病院が治療を提供する。
ホストファミリーの親は 難しい手術のあと昼も夜も 
子どものベッドの傍にいて、慰める。

Nesarは23人の他の子どもと一緒に帰国した。
子どもは3-17歳。みんな 数ヶ月前には 危機的
状態だった。
11歳の子は地雷で視力を失った。5歳の子はトラック
にひかれ、足が砕かれた。
心臓に重い障害があり、手術しなければ 生きられ
なかった子もいる。

6月末まで この組織の理事長だった Matthias Angresは 
カーブルで子供たちを出迎えた。

この組織はカーブルに 石造りの家を持っている。
ドイツで治療し、ただ家族に引き渡すだけ というのは 
したくなかったと Angresは言う。ここは戦争と貧困と
文盲の国なのだ。子どもの将来を考えなければならない。
読み書き算盤を身につけてほしい。
そこで約60人の子が この石の家に住む。女の子も
いる。アフガニスタンでは20%の女性しか読み書きできない。
子に学校教育を受けさせるように 親を説得するのは
難しい。子どもの多くは生活のために大きい責任を
負っているから。
子どもは手術を受けたあとドイツで 遊んだり、友達と
会ったり、養育親と遠出したり していたけれど、
アフガニスタンでは そういうことは できない。
石の家の指導者Sadekは 子どもに左手で挨拶する。
右手は義手だ。彼も戦争犠牲者だ。この組織の
アフガニスタンでの窓口になってくれている彼は アフガニスタン
全土を回り、重傷を負った子の親と話し、ドイツで
手術を受ければ 生まれ変わった人生を送れると 
説得する。
彼は妻と10人ほどの職員とで、教師を選び、子どもの
世話をする。医師と看護婦は定期的に来てくれる。

7年前にタリバン政権は倒れ、多くの国がそれ以来 
この国により良い将来を贈ろうと苦心してきた。
治安は少なくともカーブルでは良くなった。しかし 
平和は 今後も当分 来ないだろう。
(続く)
下記サイトから:
http://www.stern.de/politik/panorama/:Hilfe-Kinder-Ich/626353.html  


Posted by jtw at 14:33Comments(0)