2008年06月14日

ホルモン補充療法は乳癌の危険を増やすinドイツ

更年期に長期にホルモン補充療法を続けると 
ドイツ人の場合に乳癌の危険が増える。
ハイデルベルクのドイツ癌研究センターとハンブルク大学病院の
Jenny Chang-Claude と Wilhelm Braendleが 
中心となる調査による。
2002年から ドイツでは50-74歳の合計1万人の女性
(Marie調査と言われる調査の対象者)について
ホルモンの服用と乳癌になる可能性について調査した。
調査結果は アメリカと英国での調査と一致する。
5年以上ホルモン療法を受けている人は ドイツでは
その5年間に乳癌になる危険は73%増える。
Oestrogen と Gestagenを併用する治療は 
Oestrogenだけの治療よりも 危険が高い。
Marie調査の結果では ホルモンが 乳癌をつくる
のでなく、癌細胞の増殖を促進するということが 
証明されている。
短期の できるだけ少ない ホルモン投与による
治療が勧められる。

下記サイトから:
http://www.faz.net/s/Rub7F74ED2FDF2B439794CC2D664921E7FF/Doc~EF6B6377317624E118F6207F0BF460C27~ATpl~Ecommon~Scontent.html
  


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2008年06月13日

同性愛者へのナチの迫害・追悼碑 落成式inベルリン

ベルリンでナチに迫害された性同一性障害者のための
追悼碑が 文化相Bernd Neumannによって 公開された。
5万人の同性愛者が 「性的立場のために」有罪の
判決を下され、数千人が強制収用所に入れられ 
殺された。
追悼碑は 過去の驚愕の事実を 思いおこさせる 
だけでなく、ドイツで 同性愛者への 差別は許され
ないということを表明するものだ。
簡素なコンクリートの石柱は ベルリン動物園の南の
周辺部にあり、ホロコースト記念碑に向き合っている。
記念碑の窓に 映像が映るようになっていて、
同性の二人がキスする動画が 常時見られる。
2年周期で 男のカップルと 女のカップルの 動画が 
交互に出る。
下記サイトで その動画も 見られます。
http://www.tagesschau.de/kultur/homosexuellenmahnmal2.html

  


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2008年06月12日

基幹学校卒業生は行き場が少ないinドイツ

基幹学校生徒の2人に1人は 卒業して13ヶ月後にも
職業教育の場を見つけられない。
一方 実科中学の生徒の2人に1人は 卒業3ヶ月後
に職業教育に入っている。

★基幹学校--5年間の小学校の後の 5年制義務教育期間。      ギムナージウムなどに進学しない生徒が行く。
 実科中学--小学校 終了後に通う6年制の学校。
      ギムナージウムと基幹学校の 中間的存在。★

基幹学校に5年在籍して 卒業できた人も 卒業でき
なかった人も 同じように、その半数は 資格取得の
ために あるいは 切り抜けるための手段を求め、
活動をしなければ ならない。
基幹学校を離れて 30ヶ月たっても、その40%は 
資格を伴う職業教育を斡旋されていない。
特に問題の多いのは 基幹学校を卒業できなかった
男子生徒と 移民の子のような成績の悪い男子である。

国内総生産高に占める 教育費の割合は 95年と比べ、
0.7%減っている。
下記サイトから:
http://www.heute.de/ZDFheute/inhalt/5/0,3672,7248261,00.html

★和歌山でも 教育困難高校中退の子はナンギしています。
秋葉原で7人殺した青年は 短大まで だしてもらいながら、
あれ程にまで 荒れることは ないのにと思います。
彼は 掲示板に書き続け 「コメントがない」と嘆いたそう
ですが、このブログもコメントなど めったに無く そんな
ことを 嘆くことはないのに。


  


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2008年06月11日

柔術は回教徒女性の自衛のためにinドイツ

柔術家の女性Gisela Hauprichsさんは ドイツに住む
イスラム教徒の女性のための自衛教室をSaarbrueckenで
12年間ひらいてきた。
彼女はスカーフをかぶり、イスラム教のゆったりした衣装を
着たまま柔術を教える。
ザールラント警察と Saarlandイスラム教区が主催している。
ザールラント州は ドイツの南東の端にあり、フランスに接する。
州都がザールブリュッケン。

男性訓練士も2人いる。イスラム教では 家族以外の
男性と 接することを 女性に禁止している。そのため
敬虔なイスラム教徒女性は こういう教室を避けてきた。
したがって 教室開催にあたって イスラム教区の理事に 
なぜ2人の男性訓練士も教えるのかについて 納得の
いく説明をする必要があった。なぜなら 男なしでは 
実際的な自衛術を 教室で再現できないからだ。
(男性指導員も 柔道着は 着ていない)。

イスラム教区は 最初 懸念していたが、結局 同意した。
家族の女性が 襲われるよりは 女性が自衛術の身に
付けた方がいいから。

他にドイツ人女性のための 自衛術教室もある。

参加者の一人は「以前は 身を守ろうをしたら、
相手はもっと凶暴になるかと 心配していたが、
自衛術を習ってからは 自分の能力が分かったし、
安心して 出歩けるようになった」と言っている。

教区の理事長は 「こんな小さいザールラント州で
自衛術教室を開けたのだから、よそでも できる」と言う。
下記サイトから:
http://www.heute.de/ZDFheute/inhalt/26/0,3672,7247994,00.html

 

  


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2008年06月10日

子どもの貧困inドイツ/格差は広がっている?

ドイツで子どもの貧困は長期的に増えた。
これは 片親だけの家庭の増加と 関連している。
スゥェ-デン フィンランド デンマークというスカンジナビア諸国に
次いで ドイツは子どもの貧困が少ない。
2005年にドイツで 未成年者の15%以下が貧困だった。
2006年で ドイツでは17%の子どもが貧困
である。6人に一人が貧しい。
1996年から 片親家庭の数は30万増えた。片親家庭
の子どもの 35-40%は 比較的貧困である。
移民の子どもや ハルツ4(Hartz IV)受給者
(失業手当受給者)の子どもは 貧困の危険が高い。
子どもの多い家庭も 貧困群に入る。

健康・教育・安全についての要因を考えに入れると、
ドイツの子どもの状況は 21国のうちで11位にある。

移民の子どもの17%は卒業しないで退学する。

健康で 充分に守られていて、支援されている子どもと 
希望も無く、欠乏と除去に中で 生きる子どもの間の
格差は 広がっている。
子どもの面倒をみる政策を拡充すれば、専従で働く
片親家庭も助かるし、二人の親のいる家庭でも 
子どもの貧困は減る。保育所に幼い頃から子どもを
預けられたら 移民の子の教育機会も良くなる。

失業手当受給者の子どもの学校給食経費を 
誰が払うかに ついて 家庭大臣 Ursula von der Leyenは 
連邦政府の政策の範囲外だとしている。
下記サイトから:
http://www.zeit.de/online/2008/22/Kinderarmut

★カキコミに写真を入れると イコラblogのtop pageに
その写真が でるので 最初のうちは ランキン200に
はいるのに 役に立つと 思って 写真を入れていました。
しかし 写真があっても 無くても アクセス数は変わらない
ようだし、写真は 止めました。
会が再開する見込みもないから 地元でblogを書く
こともないようで、別のblogに 引っ越しても いいかな
と思っています。



  


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2008年06月09日

新潟のご当地ブログ/温泉旅館のブログが多い

新潟のブログを見てみたら アクセス ランキン表 145位まで
出ていました。温泉旅館のブログが多いです。
和歌山大学に 観光学科が できたと 言うけれど、
イコラ ブログに 書いてくれて いる地元ホテルや旅館は 
和歌浦の万波さん くらいでしょうか?

最近 田野浦の旅館で 法事がありました。
トイレは掃除していなかった ところを 見ると、もう 僅かな
知り合いに 利用してもらうだけだから、めったに客は
なく、掃除する気力も なくなったのかと 思いました。

数年前 新潟市から1時間ほど 離れた 温泉場へ
法事で 泊まり掛けで行きました。雪の降る頃で
眺めがいいわけでもない所でしたが、すいぶん お客さん
は 入っていました。

和歌山で 温泉場さえ寂れていくのは さびしいです。


  


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2008年06月09日

ミャンマーのサイクロン被災者の日記(下)

5月3日(土)
太陽が昇り 水は引いた。木から降りたが、歩けなかった。
体中が痛かった。幸い 水牛を見つけ、村まで水牛に乗って
行った。家があった場所には 何もなかった。そこから
教会へ向かった。それまで 自分が裸だとは気がつかなかった。
教会の近くに 多くの人が居て、誰かがTシャツをくれた。
村に2人の牧師がいたが 亡くなっていた。
千人の村人のうち 生き残ったのは300人。

5月4日(日)
隣村へ行った。1割しか生き残っていなかった。
数えられない程の遺体が 川を流れ、道に残されていた。
米とうどんを 混ぜたものを もらったが、水はなかった。
ココナツミルクが頼りだった。喉が渇いた。

5月5日
渡し舟で Latputtaへ行った。知人の家で 受け入れ
てもらった。食べ物はなかったので、ご飯をもらうために、
通りの人込みに入った。米販売業者が 食べ物を寄付
していた。2日間 そこにいた。

5月6日Myaung Myaへ トラックに乗って行った。
そこで やっと被災者キャンプに行き着いた。
Latputtaよりも ずいぶん良く、4日ぶりに ご飯とカレー
という まともな食事ができた。
ここの被災者キャンプに 最も被害の大きかった地域
から3万人が 集まって来ていた。

熱病・下痢・気道の病気にかかる子どもが多い。
5歳以下の子どもは 抵抗力が弱いので 特に
危険な状況だ。

Nyoは村へ戻りたくない。死んだ人の居るところだから。
Pathien か ヤンゴンのような大都会で職をみつけられ
たら いいと思うが まったく 見通しはたたない。

下記サイトから:
http://www.stern.de/politik/panorama/:Myanmar-Tagebuch-H%F6lle/620044.html

★別のアメリカのメディアの現地報告によると、被災地へ行くのに 
兵士に賄賂を渡し、通してもらったと 書かれています。




  


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2008年06月08日

ミャンマーのサイクロン被害者の日記

Nyo Myntはサイクロンを生き延びたが すべてを失った。
数時間でサイクロンは家族を死なせ、家を吹き飛ばした。

彼女は16歳。7人の兄弟姉妹の最年長の女性。
末っ子は2歳だった。皆死んだ。一人生き残った。
Latputtaの近くの村に生まれた。

ジョイはWorld Visionという支援組織の職員で、
Nyoの居る避難所で 働いている。Nyoは 古里
Latputtaから約70キロ離れた避難所にいる。
ジョイはサイクロンの被害者の話を メモつづりに 
書きとめ 状況を分析し、構想を描くのを 仕事にしている。

Nyoの日記:
2008年5月2日(金曜)
嵐が来るとは聞いていたが、夕方までは何も起きなかった。
夕食の支度をしていたら 風が強くなり、周りは水浸しに
なったので 家族はみな 高台の教会へ向かって走った。
しかし大雨と強風と洪水で とても そこまでいけなかった。
家族は互いにココナツの綱でつなぎあって いたが、
綱も切れた。それで 母と私以外は 水に流された。
母の手を掴んでいたが、倒れてきた木にぶつかり、
母とも 離れ離れになった。私は 夜通し 木に掴まって
いた。何度も洪水が押し寄せ、私は沈みそうになった。
(続く) 
下記サイトから:
http://www.stern.de/politik/panorama/:Myanmar-Tagebuch-H%F6lle/620044.html  


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2008年06月07日

オバマのおばあさんinケニア・Kogelo村

アメリカ大統領候補オバマの祖母Sarah Ayango Obamaは
86歳でたいへん元気に コゲロ村で暮らしている。
村人が投票できたなら、とっくに大統領候補は決まって
いただろう。村人はほとんど全員オバマファンで オバマの歌
を歌い、オバマビールを飲んでいるのだ。

村はビクトリア湖の東岸にある。村人は漁業をして、
家の周りにトウモロコシや野菜を植え、たいていの
家には数羽の鶏がいて、牝牛が1頭いる。

セアラおばあさんの家屋敷は村で知らない人はない。
玄関の戸には「オバマ2008」というステッカーが貼ってある。
有名な孫が1年半前にこの家に来た時 屋根に太陽
電池が付けられ、マンゴーの木の側に井戸も掘られた。
「生活が変わった」とセアラは言う。「もう小川へ水汲みに
行かなくてもいいし、石油を買わなくても済む。
電気があるから」。

家の裏に オバマ候補の父の墓がある。父さんは
50年前に奨学金をもらって アメリカへ行き、その後 
学者としてケニアへ戻ってきた。父の死後、何年も経って
から、青年だっとオバマは先祖の土地に来たことがある。

セアラの家から数百メーター離れたところに「上院議員オバマ
記念学校」がある。子どもたちは「ありがとうオバマ議員」
の歌を歌う。
村の居酒屋で ビールを注文する時に 皆 「丸いオバマ」
と言う。
大統領選挙の日にアメリカに来られるように「孫が飛行機
の切符を送ってくれたら、アメリカへ行く。このチャンスを
逃すことはない」とセアラおばあさんは言う。
2004年にオバマがイリノイの上院議員になった時もセアラは
アメリカへ行った。

下記サイトから:
http://www.tagesschau.de/ausland/obama186.html

★ナイロビに特派員がいるようですし、欧州からケニアは
日本からと 違い、遠くないから こういう記事も書きやすい
のでしょう。


  


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2008年06月06日

イレーネ・ゼンドラー死去.ワルシャワ・ゲットーの救い手

2008年5月11日 98歳でポーランドの反ナチ運動家Irene Sendler
は亡くなった。ワルシャワのゲットーから2500人のユダヤの
子どもを逃した。

彼女はオスカー シンドラーと比べられた。
1942-43年にユダヤの子どもに書類を持たせ、
ゲットーから連れ出した。
1910年にワルシャワで医師の娘として生まれた。
ポーランド占領の後 1940年のゲットー設立を経験した。
看護婦として薬と食物をゲットーに密かに持ち込んだ。
彼女が救急隊員の身分証明書を持っていたことが 
ユダヤ人を逃すのに役に立った。

殺戮収容所へのユダヤ人の運搬が 始まった時 
彼女は子どもだけでも 死から救おうと決めた。
地下組織「ユダヤ人支援のための評議会」(Zegota)
のために彼女は 子どもを逃す活動を組織した。
子どもをコートの下に隠したり、袋や気の箱に入れたり
して、地下室や下水道を通って ゲットーから運び出した。
子どもに睡眠剤を飲ませて 運び出すことも まれでは 
なかった。
偽造した書類を持たされて 子どもはポーランドの家庭に
預けられた。修道院や孤児院にも かくまわれた。

彼女は1943年10月にドイツ人に逮捕された。しかし
ゲシュタポの拷問にもかかわらず、何も白状せず、
子どもの名前も言わなかった。
死刑の判決が言い渡されたが、Zegotaが ナチ親衛隊
に賄賂を贈り 彼女は処刑の直前に逃亡できた。
彼女はすぐに活動を再開した。

救出した子のリストは瓶に入れ、木の下に埋めた。
リストには名前と通称が 書かれていたので、戦後に
子どもが誰であるかを知ることができた。

1965年にポーランドは彼女を「民族を超えた義人」とした。
しかし 共産主義者はイレーネと馴染めなかったから 
彼女は故国では 言及されない ままであった。
やっと90歳を超えてから ポーランドとドイツで 顕彰された。
彼女は控えめでありつづけた。「もっと多くの人を救えた
のにと言う 良心の呵責を今も 感じる。死ぬまで 
罪悪感をもっているだろう」と言っていた。 

下記サイトから:
http://einestages.spiegel.de/external/ShowTopicAlbumBackground/Sl_onRateAlbumAnonymous/Sc_albumRating/S1958/5.html  


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2008年06月05日

麻薬戦争inメキシコ.4時間の銃撃戦

5月28日発。
メキシコ北部の町 Culiacan(クリアカン)で 武装犯罪者と警察が 
撃ち合いになり、7人の警官が射殺された。
2人が逮捕された。
警察はこの作戦に約400人を投入した。
押収した火器の中に 7丁のカラシコフ銃(ロシア製の
軽機関銃)もあった。
別の町では 1人の警察官が 麻薬マフィアに射殺されている。
今年に入ってから メキシコでは 麻薬戦争のために
1400人近い人が殺された。5月だけで427人が
殺されている。

下記サイトから:
http://www.n-tv.de/Vier_Stunden_Schiesserei_Drogenkrieg_in_Mexiko/280520080015/970964.html

★日本への麻薬は どこから 来るのか 知りませんが
船で 紀伊半島の南部の 荒磯に着き、そこから 日本の
ヤクザ屋さんが 車で 京阪神に運ぶと 聞きました。
東京へのは 伊豆や 房総に 着くのでしょうね。  


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2008年06月04日

マリフアナを毎日すうと脳が縮む

オーストラリアのメルボルン大学の研究者は 1日に
少なくとも5本のマリフアナを吸う15人の男を20年間 
観察し、その脳を定期的に測定した。
記憶にとって大事な海馬状隆起は 20年後に 
対照群と比べ、12%小さくなった。
感情を処理する扁桃核は マリフアナ群で7%小さく
なっていた。
記憶テストでも マリフアナ群は 対照群よりも 
はるかに 悪かった。
アメリカ医学会の Archives of general psychiatry
研究結果は 発表された。
下記サイトから:
http://www.n-tv.de/Taeglich_ist_zuviel_Marihuana_laesst_Hirn_schrumpfen/030620081513/973657.html  


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2008年06月03日

貞操を守らせるための殺人/名誉殺人@ハンブルク続き

★Ehrenmordを ネットで見たら「名誉殺人」になっていたり
あるいは 原文のママだったりです。イスラム教圏で家族の
中の男が妻や姉妹を 主に性的な理由で殺すことで ある
らしいので 何が名誉なのだと 思って 上記のように
訳しましたがよく分かりません。貞操という単語は めったに
見ないです。ある独和辞典で Ehreを引いたら でていました。★

Morsalは5月中ごろに兄に刺し殺された。
彼女の苦悩は 死の何ヶ月も前から続いていた。
彼女はアフガニスタンのカーブルで生まれ、3歳でハンブルク
に来た。ただドイツの友達と同じ物を持ちたかった:
化粧品、服、男友達、自由。一番ほしかったのは自由。
しかし家族も捨てられなかった。
彼女は家族の 思い込みによって苦しめられた:化粧が
濃すぎる、服は短すぎる、男と外泊したなど。
家族の持っている観念とは違う生活を彼女はした。

彼女は数えられないほどの回数 警察を呼んだ。
しかし告発はしたくないと言った。事情聴取に来な
かったことも あるし、黙秘権を使うこともあった。

殺される1年半前に(2006年11月1日に)彼女の兄は 
母親に「Morsalを殺す」と電話をかけた。その日に
兄が 彼女を殴ったり 蹴ったりしたので 警察は
彼女のアパートへ2度行った。
その1週間後にも また警察が行って、彼女を
子ども青少年救急センターへ連れて行った。

家族の中には 常に対立があったのに、彼女は
それを認めていなかった。家族の意義は 彼女の
意識の中で 大きな役割を果たしていた。

2007年1月にまた兄は彼女を殴り、警察が呼ばれ、
彼女は施設に入ったが 2-3日で施設から出てしまい、
男のところに泊まり、その後 家へ戻った。

2007年3月に両親は彼女をアフガニスタンへ行かせた。
いとこの所で古里の伝統を習うことになっていた。
2008年1月にアフガニスタンからハンブルクに戻った。
平和は2-3日しか続かなかった。1月初めに両親と
青少年福祉局は 彼女をしばらく「少女の家」(施設
)に移すことに同意した。しかし また彼女はハンブルクに
戻ってきた。その5日後に夜中の0時半にまた彼女は
警察に電話してきた。それで 彼女は施設へ戻った。

彼女が兄に脅かされていたのを 役所は まじめに
受け止めるべきだった。彼女は不安を男友達・教師・
警察にはっきり伝えていた。しかし 誰も 危険が 
これほど大きいとは思っていなかった。
彼女の死が このような惨事を予防するのに 
役に立つように 多くの人は願っている。
下記サイトから:
http://www.spiegel.de/panorama/justiz/0,1518,556404,00.html  


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2008年06月02日

虐待された子や養育放棄された子の脳は変化する

この脳への影響は 子孫に遺伝的に伝えられる
かもしれないと ドイツ精神科医学会の委員長
Christa Roth-Sackenheimは報告した。

子どもの頃に虐待されたり、養育放棄されたりし、
後に自殺した18人の男の脳を調べた。
自殺でない死に方をしたが、不安障害などの精神的
問題を持っていた 12人の男の脳と調査結果を比較した。
18人の自殺者において 神経細胞の蛋白質生成に
影響を及ぼす遺伝物質に変化が見られた
この変化は 遺伝子にあるのでなく、DNAのある領域
(遺伝子の活動を規制する領域)に起きる。

血液細胞のDNAに類似の変化が確認されるか 
どうかが今後 研究されなければならない。
このような検査ができれば、高い自殺率に至る
病的な変化が識別され 患者を早期に治療できるようになる。

下記サイトから:
http://www.welt.de/wissenschaft/article2002445/Gehirn_von_Opfern_nach_Missbrauch_veraendert.html  


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2008年06月01日

思うにまかせぬ救助者@青少年福祉局inベルリン(6最終)

ドイツに約600の青少年福祉局があり、そのほとんどは
民営化によって、そして 標準化された業務進行過程と
併用されるチェックリストを利用して、業績の向上を目指す。
それらは合理化・最新化の外観をもつ節約の提案だ。
児童保護のような 国家の関わる 繊細な問題を外部に
委託する気なのだろうか?
時間をかけることが ケースワーカーの最も大切な事なのに、
人間の運命についての仕事を どの程度 合理化できる
かという疑問が残る。
一人の子どもの養育放棄は 大腿骨頸部骨折を診断
するのと比べて 簡単なことでもない。

市会議員Fritschは単純な事案(つきあいの問題、養育権
についての規制、職業訓練のための支援)を役所の他の
分野の職員に引き受けてもらうと言う提案を考えている。
上記の計画は仕事を もっぱら 危機的な事例に限って
いるように思われた。青少年福祉局は緊急派遣部隊になる。

ケースワーカーのクラウスは 30年間 青少年局福祉局の 
親切で感じの良いオジサンで いようと 努力してきた。
しかし 今はすべて無益だったように思える。
青少年福祉局は 子どもを連れて行くために出動する
ものだと 思われたら、ケースワーカーが積み重ねてきた
信頼は無くなるだろう。自分の意思で青少年福祉局
へ申し出て来る親は少なくなるだろう。

ドアを出たところにある 日本の桜が咲いている。
クラウスは自転車で局へ向かった。再来週は休暇に入る。
休暇に入ったら書類をもやし、Guantanameraを歌うと
彼は言っていたが、もう忘れているだろう。他の人
たちは既に早期退職して年金を受けている。
下記サイトから:
http://www.zeit.de/2008/22/Jugendamt?page=6

★こういう長い記事を 読むのは 能力を超えています。
2年半前 この会がつぶれる直前の 先生Oliverさんは 
A4版 1枚の長い記事を 読んで その後 その内容を
1-2行で 言っても「それでいい」と言うて くれました。
一語ずつ読んで 重箱の隅をつつくような ことは 
しなかった。そのお陰で こんなに長い記事も 読んで
みようという気になるのですが、もう再開の見込みの
ない会を時々 有難かったと思い出します。  


Posted by jtw at 16:14Comments(0)