2008年06月03日

貞操を守らせるための殺人/名誉殺人@ハンブルク続き

★Ehrenmordを ネットで見たら「名誉殺人」になっていたり
あるいは 原文のママだったりです。イスラム教圏で家族の
中の男が妻や姉妹を 主に性的な理由で殺すことで ある
らしいので 何が名誉なのだと 思って 上記のように
訳しましたがよく分かりません。貞操という単語は めったに
見ないです。ある独和辞典で Ehreを引いたら でていました。★

Morsalは5月中ごろに兄に刺し殺された。
彼女の苦悩は 死の何ヶ月も前から続いていた。
彼女はアフガニスタンのカーブルで生まれ、3歳でハンブルク
に来た。ただドイツの友達と同じ物を持ちたかった:
化粧品、服、男友達、自由。一番ほしかったのは自由。
しかし家族も捨てられなかった。
彼女は家族の 思い込みによって苦しめられた:化粧が
濃すぎる、服は短すぎる、男と外泊したなど。
家族の持っている観念とは違う生活を彼女はした。

彼女は数えられないほどの回数 警察を呼んだ。
しかし告発はしたくないと言った。事情聴取に来な
かったことも あるし、黙秘権を使うこともあった。

殺される1年半前に(2006年11月1日に)彼女の兄は 
母親に「Morsalを殺す」と電話をかけた。その日に
兄が 彼女を殴ったり 蹴ったりしたので 警察は
彼女のアパートへ2度行った。
その1週間後にも また警察が行って、彼女を
子ども青少年救急センターへ連れて行った。

家族の中には 常に対立があったのに、彼女は
それを認めていなかった。家族の意義は 彼女の
意識の中で 大きな役割を果たしていた。

2007年1月にまた兄は彼女を殴り、警察が呼ばれ、
彼女は施設に入ったが 2-3日で施設から出てしまい、
男のところに泊まり、その後 家へ戻った。

2007年3月に両親は彼女をアフガニスタンへ行かせた。
いとこの所で古里の伝統を習うことになっていた。
2008年1月にアフガニスタンからハンブルクに戻った。
平和は2-3日しか続かなかった。1月初めに両親と
青少年福祉局は 彼女をしばらく「少女の家」(施設
)に移すことに同意した。しかし また彼女はハンブルクに
戻ってきた。その5日後に夜中の0時半にまた彼女は
警察に電話してきた。それで 彼女は施設へ戻った。

彼女が兄に脅かされていたのを 役所は まじめに
受け止めるべきだった。彼女は不安を男友達・教師・
警察にはっきり伝えていた。しかし 誰も 危険が 
これほど大きいとは思っていなかった。
彼女の死が このような惨事を予防するのに 
役に立つように 多くの人は願っている。
下記サイトから:
http://www.spiegel.de/panorama/justiz/0,1518,556404,00.html  


Posted by jtw at 13:55Comments(0)