2007年11月15日

ルワンダの女性と敵兵に産まされた子/写真集6

母親 Verenaは35歳。強姦されたのは22歳の時。
HIV陽性。子ども12歳。

★下記サイトをクリックすると写真がでます。
サバンナの絵と 聖母アリア幼子イエスの絵の前で
写した写真。
http://www.stern.de/politik/ausland/583308.html?nv=ct_rl&backref=%2Funterhaltung%2Ffotografie%2F%3APhotographic-Portrait-Prize-2007-Bilder-Afrika%2F602050.html&cp=6

何人の男に強姦されたか分からない。多かった。
4ヵ月後 妊娠していることが分かった。絶望した。
死にたかった。2回自殺しようとした。しかし その時 
身体の奥のほうから声が聞こえた:「一家の中で一人だけ
生き残ったのには 何か理由があるはずだ」と その声は言った。
それで気力を振り絞って 生き抜くことに決めた。
家族は拷問され 痛めつけられた。その有様は言葉で
言い表せない。両親は棍棒で殴られ 母は山刀で切り刻まれた。
私はHIVビールスをうつされた。ビールスは大虐殺の贈り物だ。
しかし娘は 私に似ている。生まれた時からそうだった。
瓜二つだ。その子は私の幸せの全て。

  


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2007年11月15日

ルワンダの女性と敵兵に産まされた子/写真集10

写真3に でているBerinaさん母子と この写真集を出版した
写真家 Jonatha Torguvnikさんの 写真が 下記を
クリックすると出ます。
この写真だけ 母子は 微笑んでいます。他の写真は 
凍りついた表情です。
これだけの写真を写す写真家は偉いです。

★ なぜ この写真集を blogにのせたかと 言いますと、
児童養護施設での 子どもから子どもへの暴力
(強姦を含む)について あまり報道されることもなく 
気になっていたからです。
九州大学の先生の 児童養護施設の児童間暴力に
ついての学会報告が あります。その抄録をいつか 
ここに載せたいと思っています。
論文全部でなく 抄録だけなら 著作権法違反にならない
のではないかと おもうので。抄録は検索の手段でも
あるから 貼り付けて悪いと思えないのですが。

http://www.stern.de/politik/ausland/583308.html?backref=%2Funterhaltung%2Ffotografie%2F%3APhotographic-Portrait-Prize-2007-Bilder-Afrika%2F602050.html&cp=10
  


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2007年11月14日

ルワンダの女性と敵兵に産まされた子/写真集7

母親 Annemarie 30歳。強姦されたのは18歳の時。
子ども 11歳。

毎晩 別の男が来て 強姦された。一人も来ない夜は
奇跡だった。息子は1995年7月7日に生まれた。
その日を忘れない。
生まれるまでに 死んでほしいと願っていた。
子どもが どうやって生き延びてきたのか 分からない。
母乳は出なかった。彼は すぐに 骸骨のように痩せて
しまった。子どもが生まれた後も 毎晩 別々の男が来て 
強姦した。
ルワンダから男に無理やりコンゴへ連れて行かれた。
その男はコンゴに隠れたのだ。
今は すべての身内が死んでしまった。生き残った身内は
この子だけ。彼にとっても 身内は私しか いない。
私に もしもの 事があったら、この子は どうなるだろう。
私達がどんな事を 耐え抜いてきたか 世界は知らなければ
ならない。私たちを救うために 何もしなかったのだから。
ルワンダの人々は 大虐殺のために今も苦しんでいる。
私たちが大虐殺の結果から 立ち直るのを 世界は今 
少なくとも手助けして当然ではないか。

★下記をクリックすると 写真がでます。
http://www.stern.de/politik/ausland/583308.html?backref=%2Funterhaltung%2Ffotografie%2F%3APhotographic-Portrait-Prize-2007-Bilder-Afrika%2F602050.html&cp=7
  


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2007年11月13日

ルワンダの女性と敵兵に生まされた子/写真集5

母親 Flaviane 27歳。強姦されたのは14歳の時。
子どもは12歳。
子どもを堕したかった。ただ どうやって堕胎するか 
知らなかった。殺した方が良かったかもしれない。
今 息子は水を汲んで来てくれる。私は殴られて 
両足が使えないから。
集団虐殺の始まって3日目だった。民兵は3人の兄弟を
殺した。夜に彼らは家を襲って来た。彼らは私を引き
ずっていって 強姦した。次から次へと 襲い掛かって
きて 何人だったか 分からない。
今 息子と この小屋に住んでいる。
母親としての義務を 果たす事について 私は役に立って
いない。息子に石鹸も買ってやれない。食べさせる物も
ないことがある。
しかし それは 強姦した男の子どもだから ということと 
何の関係もない。ただ 貧しすぎるからだ。
★下記をクリックすると写真がでます。
http://www.stern.de/politik/ausland/583308.html?nv=ct_rl&backref=%2Funterhaltung%2Ffotografie%2F%3APhotographic-Portrait-Prize-2007-Bilder-Afrika%2F602050.html&cp=5
  


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2007年11月12日

ルワンダの女性と敵兵に生まされた子/写真集4

母親 Josinne 27歳。強姦されたのは15歳の時。
HIV陽性。子ども12歳。

父も母も おばも死んだ。借金を払ってくれた おじも死んだ。
生きている自分を恨んだ。死ねるように自分を追い込み
たかったのだと いま思う。
彼らは15-16歳の女の子を 藪の中に引きずり込んだ。
一日中 強姦した。入れ替わり立ち代り 襲い掛かった。
暗くなった時 私たちが それまで隠れていた教会へ連れて行かれた。
外では 民兵が荒れ狂っているのが 聞こえてきた。
山刀を 叩きつける音が聞こえた。人々が命乞いを
するのが聞こえた。
教会の入り口で 若い男が石と棍棒で 殴られ
 山刀で首を落とされた。
一軒の家で姉を見つけた。姉は妊娠していた。
姉を強姦した民兵は私も強姦した。私も妊娠した。
姉は子どもを生んで 一年後 1996年に亡くなった。
私には もう生きることに意味はない。何にも喜びはない。
けれど 娘の面倒をみないわけに いかないだろう。

下記サイトをクリックすると写真がでます:
http://www.stern.de/politik/ausland/583308.html?nv=ct_rl&backref=%2Funterhaltung%2Ffotografie%2F%3APhotographic-Portrait-Prize-2007-Bilder-Afrika%2F602050.html&cp=4
  


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2007年11月12日

ルワンダの女性と敵兵に生まされた子/写真集・3

母親Berina33歳。強姦されたのは20歳から26歳まで。
ブルンディへ連れ去られた。子ども12歳+6歳の双子。

内戦で 殺人が始まった頃 結婚したい人がいた。
彼は殺人が始まって3日までに殺された。山刀の傷の
ある彼の死体を見た。
セックスする事も 母であることも 子どもを持っている事も 
喜びとして経験することはなかった。けれども 自分の運命は
受け入れることにした。
当時 プランテーションにいて、民兵に閉じ込められた。
民兵のリーダーに何度も強姦された。その地区の大隊長の
ところへ行って 母のように私も殺して 母の埋められている
所に埋めてくれと 言った。ところが 大隊長は私を家へ
連れて行き 15日間 強姦した。その間に 妊娠した。
その後 ある民兵は 私を性的奴隷として ブルンジへ
連れて行った。フツ族は 武装解除され 釈明を求められた
ので その民兵はブルンジへ 逃げたのだ。
やっとルアンダへ戻れた時 双子を妊娠していた。
昔はいい生活をしていた。朗らかな子どもだった。
今は何もかも 失った。
下記サイトから:
http://www.stern.de/politik/ausland/583308.html?nv=ct_rl&backref=%2Funterhaltung%2Ffotografie%2F%3APhotographic-Portrait-Prize-2007-Bilder-Afrika%2F602050.html&cp=3
  


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2007年11月11日

ルワンダの母と敵兵に生まされた子/写真集 続編2

母親 Claudin 27歳。
内戦の時14歳で強姦された。
息子 12歳。

母は語る:
夜フツ族の民兵が来て 私と姉を 家に閉じ込めた。
強姦するぞと 彼らは言った。朝になって 彼らは出かけ、
夜に 血の着いた服と山刀を持って帰ってきた。それを洗う
のは 私たちの仕事だった。夜はまた 強姦された。
翌日も彼らは 殺しに出かけた。
ある日 やっと 逃げ出せた。近くの川は 死体で一杯だった。
叔父は 私たちを受け入れてくれなかった。叔父は 
フツ族の男によって 私たちが妊娠させられていると 
聞いて 私たちを 追い出した。
この子の父親が 私にした事を考えると この子を
殺したくなるが 幸い殺さなかった。
この子を愛したことはない。しかし 少なくとも この子を
好きでいようと 自分で自分に強制した。息子は今 
ストリートチルドレンのような生活をしている。毎朝 どこかへ 
消えて行き 夜に帰ってくる。

下記サイトから:
http://www.stern.de/politik/ausland/583308.html?nv=ct_rl&backref=%2Funterhaltung%2Ffotografie%2F%3APhotographic-Portrait-Prize-2007-Bilder-Afrika%2F602050.html&cp=2
  


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2007年11月11日

社会主義の崩壊・共産主義の死/悲しむべき現実。柴田翔

悲しむべき現実
作家 柴田 翔

日本経済新聞 2007年11月6日 あすへの話題

 十数年前〈ベルリンの壁〉が崩壊し、同時に共産主義の夢も死んだ。
共産主義の理想から生まれたはずの社会主義国家はみな独裁的官僚
国家と化し、計画経済は究極の不経済的机上プランとなっていた。

 今や〈社会主義的市場経済〉なる繁栄の中国は実質、開発独裁の
一変形であり、孤塁を守る世襲制社会主義北朝鮮の計画経済は
闇市場と物物交換で危うい余命を保つ。

 だが社会主義の崩壊、共産主義の死は--つまり共産主義の
理想が現実には独裁と停滞しか生み出しえなかったことは--人
類にとって喜ぶべき事態なのだろうか。

 共産主義は、第一に人間の本性が善であり第二に人間知性が
無限の能力を持つことを前提にしていた。一人は万人のために、
万人は一人のために身をささげ、また輝しい人間知性が作る
計画は、社会の全経済活動を狂いなく制御しうる。

 だが人間は自分勝手で冷酷であり、その知性もエゴに歪んで限界
にぶつかる。社会主義の崩壊が示したのは人類についての悲しむ
べき真実だった。

 資本主義は逆に人間のエゴイズムを基盤とする。市場経済は
人間の自己利益追求を動力源とし、かつ人間を、敗北者となる恐
怖を挺子に、利益優先へと誘導もする。それは人間の本性に
根ざすゆえに繁栄する。

 しかしそれを野放しにしたとき何か起きるか。弱者の絶対的
窮乏化と社会の共同性の崩壊。それを予言したのがマルクスで
あり、描き出したのはディケンズたった。そして、それが
共産主義の幻影を生んだ。

 バブル経済崩壊後の市場原理主義は、戦後社会の安定の基盤
を破壊した。失われた社会の共同性を、今後どう再構築するか。
失敗すれば万人が万人に対して狼となる。
  


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2007年11月10日

ルワンダの女性と内戦の結果生まれた子/写真集

報道写真家 Jonathan Torgovnikはロンドンの全国
ポートレートギャラリー賞を受けた。
内戦の時 敵の兵士による強姦の結果 子どもを持つことに
なったルワンダの女性を 彼は写した。
彼の一連の写真は「母とその恥辱」という題。
その中の1枚の写真「Joseline Ingabineと娘」が
2007年ベスト ポートレート賞を受けた。
彼はルワンダに調査のために滞在中、13年前の内戦で
強姦されたために 母になった女性の宿命を 偶然 知った。
約2万の女性が悲運に襲われ その大半は 子どもを
持つことになった。
下記サイトのクリックすると 真ん中に これらの小さい写真が
でて、その左端が 受賞作です。
この写真で Joselineが次女Leahに 腕をかけていて、
後ろに長女Igihozoが写っている。

写真に添えられた文章は:
長女を愛している。夫の娘だから。愛の結晶である娘です。
赤ちゃんだった次女が 泣き喚くのを ほおって置いて 
長女をおんぶしていた。長女には 最初に食べさせた。
近所の人は それは不公平だと言う。Leahは何の罪もない。
私に加えられた危害に Leahはどうしようもない。
しかし 長女が 私の心の全てを占める。

子供たちが より良い未来をもてるよう 母親を手助けする
ために「財団ルワンダ」が今年 2月に設立され、
Torgovnikは この財団に力を尽くしている。財団は 
子ども 一人が 1年間 学校へ通うのに要る経費150ドルを 
家庭に提供する。
下記サイトから:
http://www.stern.de/unterhaltung/fotografie/:Photographic-Portrait-Prize-2007-Bilder-Afrika/602050.html
  


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2007年11月09日

山岳地の森林ボランティア@ドイツ

モルジブやトルコのSideで休暇を過ごす代わりに 数日間 
森林労働を試しにしてみるという 企画を 16枚の写真で
説明する。
参加費は 無料。朝6時から夜7時15分まで 木を切り 植え 
湿原を回復させる作業をする。
チェーンソーは 使わないで 鋸や斧で木を 倒す。
樹皮を剥ぐのも手作業でする。
この事業でボランティアは 今までに 100万のカバノキ 
ハンノキ ブナなどを植えた。

このプロジェクトにボランティアを投入する目的は
森を改良することにある。働く場は 保護森林、国立公園、
自然に近い森、ビオトープ。
1週間のプロジェクトに参加する人に 専門的資格は求めない。
請負仕事でないから 普通に健康なら充分である。
地元の営林署・国立公園局と 共同で計画し 実施されている。
午前中の休憩に軽食がでて、正午に 火を起こし 
スープが作られる。

山岳地森林プロジェクトは1986年にスイスで始まった。
90年代の初めに ドイツで公益法人としての活動が始まった。
少人数のチームを 素人の森林労働者で つくって 
森を助けるというのが このプロジェクトの理念である。
参加者に 自然と接して 感激を味わってもらう。
短期森林労働者は 簡素な小屋に住む。小屋に料理人がいて、
食事を出してくれる。時には 鹿肉もでる。

プロジェクトは長期計画に従っている。湿原を元の湿原に
戻す事業は200-300年計画である。しかし 短期の参加でも 
少なくても 健康な自然の基礎は作れる。
そのうちに 単一樹林から 自然林になり、乾燥した湿原に
再び水が入り、魚が戻ってくる。
この事業は ドイツの他に スイスとリヒテンシュタイン
でも行われている。
下記サイトから:
http://www.sueddeutsche.de/,ra17m1/reise/bildstrecke/57/126857/p0/
  


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2007年11月09日

海南市・日方小学校で和大留学生と話する会

11月8日に 日方小学校は 保護者と職員 合わせて70人くらいを
対象に 和歌山大学の 留学生3人が 「留学生から見た日本」という
題で 一人10分くらいずつ 話して、その後 質問に答えるという 
会を開いてくれました。
マレーシアのマラッカ・台北・大連出身の学生です。
数人の方々が 質問してくれて 留学生は 喜んでいました。
話しして 誰も 質問してくれないのは 辛いです。

11月22日に 別の小学校で 5年生を 対象に 留学生と なにか 
ゲームしたり 話ししたり という 行事があるので また 行ってくれるか 
どうか 帰りの車中で 尋ねてみたら 「今日は 楽しかったから 
また 行きたい」と 言うてくれて 助かりました。

日方小学校の 校歌は 作詞 室生犀星、作曲 益山謙吾という
たいへんな 豪華版です。

♪寄せては 返す 大波の
波の音 清き 文の舎に
一生けんめい たゆみなく
学びの道に いそしまん

★この校歌を読んで 学校は 学ぶ場だったのだと
新鮮な 感動を覚えました。
今の 中学高校の一部の生徒は 授業中に寝るために
学校へ 行っているようで 「学びの道に ....」と 聞くと
はっとします。
室生犀星 先生 大正から 昭和初期に 作詞してくださった
のでしょうか。
  


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2007年11月08日

ザルツブルク近郊山岳鉄道トンネル火災から7年

スキーリゾート地 カプルンでのトンネル火災から7年経った。
その犠牲者155人の家族にとって 損害賠償金を 
受け取る見通しは立っていない。
9人のドイツ人被害者の依頼を受けているオーストリーの
弁護士はカプルン仲裁委員会での交渉の場から 
予定より早く立ち去った。総額32000ユーロの賠償金を
提示されたが、依頼人の同意なしに 受け入れることは 
できないというのも その理由の一つである。
しかし 法廷外の合意に達することは 可能である。
2000年11月11日の朝の この大惨事で 155人の
乗客が死亡した。
脱出できたのは わずか12人。
事故に関して起訴された16人のオーストリー人は 
二つの刑事訴訟で無罪とされた。高額の賠償金を求める
訴訟は今まで成果をあげていない。
下記サイトから:
http://www.faz.net/s/Rub77CAECAE94D7431F9EACD163751D4CFD/Doc~ECEF6FAA96AD148709BE27911F6BEA5F8~ATpl~Ecommon~Scontent.html
日本人も十数人亡くなりました。
155人の方々の冥福をお祈りいたします。
  


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2007年11月07日

養育しない家庭へ施設の子どもを連れ戻し計画@Halle市

9月30日に発表されたハレ市の指示書は 養育放棄や
家庭内暴力を受けて 養護施設にいる314人の子ども・
青少年を 全て家庭へ戻すようにと 述べた。
要するに 財政難のため 節約しようという考えだ。
市議会の委員会は 全員一致して この計画に賛成した。
その後 この事が 注目されるようになり ハレ市当局は 
一時的に譲歩することになった。

青少年局局長と市長は 今後 養護施設なしで 済ませたい
意向である。その代わりに 青少年保護事業において 
予防的助言をすることによって 子どもを家庭に留めたい 
というのが その考えだ。
ハレで養護施設にいる子どもの率は ドイツ全国の率よりも 
高い。施設に子どもを入れると 月間3000ユーロ(495000円)
の経費がかかる。経費が多いのは 24時間 交代勤務で 
世話するからである。
今でも 関係者が施設への入所を勧める前に 状況をこまかく
吟味する。学校や医者を調査する場合に 充分な調査が
されなかったら 問題である。麻薬・アルコール・暴力との関連
では 親の特異な振る舞いが問題になる。
ほったらかしにされたり 屈辱的な扱いをされたり 虐待されたり
する子どもは 生まれてから 玩具も与えられたことがなかったり、
一日中 一人ぼっちにさせられていたり、世話されなかったりする。

施設にいる子どもの多くは 家庭内暴力の犠牲者である。
家庭内暴力で警察が 出動した件数の半分以上について 
現場に子どもがいた。去年1年で Sachsen-Anhalt州で 
457人の子どもが虐待や 性的暴力の犠牲者になった。
その大半は 「社会的に近い範囲」での虐待だった。

「自主的に」施設に入る場合(入所者の約2/3)は社会教育
担当者と 話し合った上で 入所する。親は 施設に子どもが
いる間 子どもの教育と関わっている。施設での滞在期間中 
半年に一度 状況は 吟味される。
入所する子どもの約1/3は 少年刑務所から施設に 入れられる。
司法上によって 施設にいくように指示された 子どもである。
ということは このハレの指示書に従うとすると、法律に違反
することになる。

ハレ市では 施設での 子どもの経費は 全国平均より
20%も多い。
ハレの全ての子どものうち 約30%は 最低生活費で生活
している。7千人の子どもは 親が失業保険を受けている。
ハレは1990年の東西ドイツ合併直後とは 違って 産業の
崩壊から 幾分は 立ち直った。それでも 人口は90年の
33万人から 237000人に減った。失業率は18%。
旧市街地も団地も 4軒に1軒は空家である。ドイツの都市の
経済力ランキングの 一つによると50市中の49位、
もう一つの調査でも 60市中59位である。
下記サイトから:
http://www.faz.net/s/RubCD175863466D41BB9A6A93D460B81174/Doc~E5AD4298CA8C748A5A46F84F411A52C32~ATpl~Ecommon~Scontent.html
★カキコミ人による蛇足:
この記事は 里親について触れていない。市の財政難に
よって 施設を使うのを 止めたいということだけ 書いている。

全国里親会の資料によると(何年におけるデータか 
書かれていないか メモするのを忘れたか)ドイツでは 
里親ケアが42.3% 施設ケアは57.7%。
欧州では ギリシャ スペイン ベルギーが ドイツよりも 
施設ケアの率が 高い。しかし 日本ほど里親ケアの少ない
国は 欧州にはない。
  


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2007年11月06日

哀歌@ミャンマー

亡命したビルマ人のブログから:

Don't Wait Until Tomorrow 
という詩です。
英語として 単語も 文法も 所々 おかしいと 英語国の人は 
言うだろうけれど 日本人には 理解できます。

Somebody is crying in the dark,
who lost her son is a monk.

Somebody had work up in midnight,
who had suffering for humanright.

Somebody had beatten on the road,
who had been holding a signboard.

Somebody is praying in the jail,
who had arrested and touture all the day.

They have sacrificed for their country,
but their country had not free.

We have to handover their work
if you dare to give your life.

We have to follow their way,
Which they walk with love and pray.

We will fight to reach our goal,
Don’t wait until tomorrow.

May Min Set
  


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2007年11月06日

清らかなダイヤモンドを扱う汚い商売@シエラレオーネ

ハリウッド映画「血のダイヤモンド(ブラッドダイヤモンド」が
2007年初めに上映されてから ダイヤモンドには 汚いイメージが
付きまとっている。シエラレオーネの内戦で 90年代の終わりに
ダイヤの取引がどんな悲惨な役割を 果たしたかを 
この映画は示している。
不正な労働条件の下で採掘されたダイヤが 密輸され 
その金で 武器が買われ 戦争が続けられた。
内戦のなかで密輸に使われたダイヤは 「血のダイヤ・紛争の
ダイヤ」と呼ばれ 正規品を同様に市場に出回っている。
8年経って シエラレオーネに再び平和が来たが 不正のない
ダイヤについて この国では まだ 話せない。
11月5日にブラッセルでダイヤ産出国・商人・NGOが集まり 
ダイヤ取引とその管理について話し合った。
ダイヤの管理手順はKimberleyプロセスと呼ばれる。
この制度では ダイヤを輸出する場合、紛争と無関係である
ことを証明する政府発行文書と 容器封印を 義務付ける。
ダイヤ業界の連盟は アントワープにあり、そこで管理されて
いる。このシステムの問題は 独立した監視機能がないことだ。

シエラレオーネでは 豊なダイヤモンド産出が 国民の生活に
役に立つのでなく、災難になってきた。
採掘する労働者は 奴隷的条件で働いている。日当が 
米 一皿という人もいる。子どもが働いている鉱山も多い。
採掘コンツェルンは3%の税しか 払っていない。
政治と経済の癒着が 問題である。
大半の国民は失業し、将来の見通しもない。
これは内戦の始まる90年代と同じだ。

Thomas Siepelmeyer は永年 開発支援者として働いた後、
公平なダイヤモンド取引のための会社を1999年に作った。
彼はダイヤを彼の村で ダイヤを掘る家族や 協同組合から 
直接買う。子ども労働は 使わない。仲介業者を入れないから 
採掘労働者の手取りは多く、そのうえ 市場では 
普通の値で売れる。

コーヒーや服と同じように ダイヤも どういう状況で生産されて
いるかに 客は関心を持つようになっている。今年の彼の会社の
売り上げは 大幅に増えた。
Cartier や Tiffamyも 公平な取引(フェア トレード)に
参加する意向だ。ダイヤのイメージは よくない。
ダイヤ取引は 煌めくほど清らかなものでは ないということを 
客は意識している。
下記サイトから:
http://www.dw-world.de/dw/article/0,2144,2861461,00.html
  


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2007年11月05日

女性だけの村@ケニア

女は夫の所有物だった。夫から殴られ 夫から追放された女 
数十人は この運命に もはや 耐えられないと思った。
それで女たちは女村を作り 経済的にもうまく行って 平和に 
みんな一緒に暮らしている。男どもは これを見て 仰天している。
Samburuの女は 伝統的に結婚したら夫の所有物になるのだが、
彼女たちは夫と別れた。
Umojaという村は 東アフリカ唯一の女性だけの村。
Umojaは 「共にする」という意味で、ここでは 共に働く
だけでなく 同じ運命・経験を共にしている。
女たちは 夫から 追放されたか、殴られ 虐待されて 
夫から離れた。「男はセックスと労働を 強制し、挙句の果てに 
こちらは何も悪いことをしていないのに殴る権利を
もっていると 思っている。これでは 男と一緒に
生きられない」と28歳のマルグレートは言う。

○腕の良い女性商人・誇り高い土地所有者

何年も経験を積んで サムブルの女は腕のいい商人になった。
装飾品を売った収入で いい生活ができる。
小屋と土地は ずっと前に彼女たちの物になった。
昔から土地の所有権と相続権は 女には なかったので 
これは異例のことだ。
女性は長い屈辱の後に やっと責任を引き受けることに
なって 溌剌としてくる。

マルグレートはここで育ち ここで人生の最悪の時を耐えた。
彼女は記者に語ってくれたが、もう再び口にすることは 
ないだろう恐怖に記憶なのだ。「この畑でイギリス兵に強姦された。
それで人生が変わってしまった。夫は私を家から追い出し、
家族は私を追放した。すべての身内と それまでの生活を失った。」
夫に「不浄」と罵られたとき 彼女は粉々に砕けたような気がした。
今は 女性権利の主唱者の一人になっている。

○新しいプロジェクト・キャンプ場

いま約40人の女性が 子どもを連れて Umojaに居る。
男と一緒にいた時よりも 金があるので 蓄えた金で 
観光客のためのキャンプ場を作る予定だ。そこは 
サムブルの文化/生活を体験できるような場になる。
サムブル国立公園のなかに あるので いいものになりそうだ。
土地の男どもと いざこざが あるのは 女たちは 
承知している。しかし 小さい店にとって 彼女たちは 
いい客だ。今日は祭で 彼女たちは キャンプ場のための金を 
もって来ていて、山羊を1頭買った。自分達で屠殺するのだが 
屠殺は男の仕事なので これは 古い人には 考えられない事だ。
「昔は 男が食べている間 女は待っていて 後で
女はモツだけ食べた」。
祭の夜なので 隣村から 男を2-3人 雇って ダンスをさせる。
「男には できるだけ高く跳ばせる。高く跳べば 
女は満足することになっている」。
下記サイトから:
http://www.tagesschau.de/ausland/kenia4.html
  


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2007年11月04日

ラビン元首相13回忌追善集会に15万人

11月4日 テルアビブで12年前に 暗殺されたラビン元首相を
追悼する集会が行われ 広場を15万人が埋め尽くした。
ラビンの死を悼む人々は ろうそくに火をともし、「平和にYES 
暴力にNO」と書いた幕を掲げた。
1995年11月4日 極正統派ユダヤ人は ラビンを射殺した。
ラビンは1993年に パレスティナとの間で 平和協定を調印
した。今の大統領ペレスは 当時 外務大臣だった。
当時のパレスティナ大統領アラファトと イスラエルのペレスと
ラビンは ともに 平和協定の業績により ノーベル平和賞を授与された。
下記サイトから:
http://www.tagesschau.de/ausland/israel18.html
  


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2007年11月04日

日本軍の韓国人特攻隊員を慰霊する記念碑

ソウルから ヨボセヨ(もしもし)
産経新聞2007年11月3日 

黒田福美さんの夢

 韓国通で知られる女優、黒田福美さんの長年の″夢″が
ついに実現することになった。その夢とは、太平洋戦争末期、
沖縄戦で戦死した日本軍の韓国人特攻隊員を慰霊する
記念碑を故郷の韓国に建てることだった。特攻隊員の
名前は日本名・光山文博さん、本名は卓庚鉉さん。先
年、高倉健さん主演の映画『ホタル』でも″主人公″
として描かれた人物だ。

 黒田福美さんは韓国紹介の著書が多く、韓国語が
達者なため韓国のテレビドラマにも出演してきた。
その彼女が16年特攻隊員前の夏、実際に見た夢に韓国人
特攻隊員が現れ「自分は天皇陛下のために死んだ
ことに悔いはないが、日本人の名前で死んだことは
残念でならない」と告げたという。以来、この夢が
気がかりになり、特攻隊の基地だった鹿児島県の知覧の
記念館や靖国神社、その他、資料を探し歩き「夢の
人物は″卓庚鉉さん″に違いないと確信した」という。
 
 故郷は南部の慶尚南進・泗川市の西浦。彼女の意気に
賛同した金守英市長の尽力で市内の公園の一角を提供
してもらった。「帰郷祈念碑」の除幕式は12月1日行わ
れる。戦後この方、韓国では韓国人特攻隊員は対日協力者
として冶たく見られてきたが、その魂はやっと
「懐かしい故郷の山河に帰る」 (碑文から)ことになった。
よくやった福美さん。       (黒田勝弘)

★もともとは ドイツ語の会の宣伝のために書き始めたblog
ですが、会は潰れ 何を書いてもよくなった。
この記事を 貼り付けられるのも 会が 消えたお陰です。
昔は 第2外国語に韓国語は ないのが 普通だった。
ラジオ韓国語講座も 20年ほど前に やっと始まった。
若い頃に 縁が無かった外国語とは なかなか 付き合えない
のは 残念です。
  


Posted by jtw at 10:23Comments(2)

2007年11月03日

未成年者との似非結婚・欧州で人身売買

欧州数カ国の警察は協調して 人身売買の手入れをした。
スペイン内務省の報告によると ナイジェリアの少女は 
オランダへ連れて行かれ、そこで 似非結婚の手続きをされ
その後 スペインのカトリック教会で結婚の儀を終えた。
その国々で その都度7000ユーロ(1ユーロは165円)が
少女に請求された。そのうえ、密出入国の手数料31000
ユーロが請求される。
このお金は 少女が売春で返済することに なっていた。
この人身売買 手入れは オランダで始まり ドイツを含む
欧州七カ国で 行われた。
遠くアメリカとナイジェリアでも 一斉手入れがあり
全部で32人が逮捕された。
下記サイトから:
http://www.n-tv.de/872017.html
  


Posted by jtw at 09:50Comments(0)

2007年11月02日

チャドの孤児103人は大半は孤児でなかった

Arche de Zoeという仏の援助団体がチャドから
フランスへ移送する計画だった「孤児」の大半には 親か
近い身内がいた ということが 赤十字の調査で分かった。
子どもとの話しによると、大半の子はチャドとスーダンの
国境地帯の出身で 103人のうち91人は少なくとも片親か
近い身内がいると言っている。
援助団体は スーダンの危機的な地域 ダルフールから 
孤児を救出したかったと断言している。
チャド政府は これに対して 子どもはチャド出身であり 
孤児でもないと 述べている。
援助団体と一緒にいた 3人のジャーナリストもチャド当局に
逮捕された。フランス大統領はチャドの大統領に 
3人の記者を 早期に釈放するよう 求めた。
パイロットも逮捕された。彼はベルギー人で チャドと隣国
スーダンの間の 国境地帯から 700キロ離れたチャドの
Abecheへ 子どもを 何回かの飛行で運んだ。
彼の他に 18人が既に 逮捕されている。
下記サイトから:
http://www.dw-world.de/dw/article/0,2144,2859686,00.html
  


Posted by jtw at 11:04Comments(2)