2007年10月15日

ミャンマー軍事政権は手綱を引き締めている

10月8日発。多くの寺院と そこで生活する僧は 一斉手入れに
あった。軍事政権は 厳しさを 示しているが 抗議を完全に
黙らせることは できない。
反対派 Aung San Suu Kyi が 釈放される希望は 少ない。
ドイツ政府は スーチーの 釈放・ 最近のデモで逮捕された
人々の 釈放を 軍事政権に 要求している。
スーチーの釈放は 9月のデモの 主な 要求の一つだった。
下記サイトから:
http://www.dw-world.de/dw/article/0,2144,2813208,00.html

★ 9月29日の このブログに紹介した三つのビルマ関係の
ブログのうち、 インド発の Mizzzima Newsは 毎日
更新されています。
  


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2007年10月14日

バルト海沿岸の潟湖に7万の鶴が集まる

バルト海の潟 Vorpommernの 浅い入り江の国立公園に
最近 これまでに なく 多い7万羽のツルが 休息
している。
最近の風の状況のために ほとんど全てのツルは 
スカンジナビアから バルト海のドイツ海岸へ 向かって
出発した。
「幸運の鳥」と呼ばれる ツルは この潟で 休んだ後
南アフリカや スペインの越冬地へ 出発する。
いくつかの 渡りのルートは 北から ドイツを通って
南へ 向かう。
この国立公園の 公式サイトは :
http://www.nationalpark-vorpommersche-boddenlandschaft.de/

下記サイトから:
http://www.n-tv.de/865274.html

  


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2007年10月13日

戦争が開発援助を食いつぶす@アフリカ

アフリカで 戦争のために 1990年から2005年の間に
少なくとも 2110億ユーロが 使われた。
これは アフリカが 受け取った開発援助の金額と
だいたい同じであると、英国の援助団体Oxfamは
10月11日に発表した。
Oxfam、IANSA、 Saferworld などのNGOは 
武器貿易の追放を 要求している。

アフリカは 毎年 平均180億ドルを戦乱のために 
失っている。アフリカに53の国があり、そのうち 23国が 
上記の期間に 発展を阻害する戦争に 巻き込まれた。
アルジェリア アンゴラ ブルンジ エリトリア エチオピア 
ルアンダ リベリア ナイジェリアが この23国に入っている。
戦争に回された 金で エイズ危機は 解決されるし、
マラリアと結核について 効果的な対策をとれる。清潔な水 
衛生施設 教育にも 金を まわせる。
戦争が なければ、子どもの死亡率は 半分になり、
低栄養の人の数が 15%減り 平均余命は5歳 伸び、
文盲の人は20%減る。

アフリカ諸国の経済は 戦争の間に 15%縮小した。

下記サイトから:
http://www.dw-world.de/dw/article/0,2144,2818046,00.html
  


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2007年10月12日

ドイツからの団体旅行者・防災館@池袋を見学

Jappさんは 2003年に 大阪市大に 交換留学生として
来ていた時、約1年 この会へ教えに来て くれました。
今 Jappさんは Hamburg大学 日本学科の博士課程に
います。アルバイトに ドイツから 日本へ来る ツアーの
添乗員になって 先月末から 京都 奈良 広島 東京
日光などを 案内しています。

10日に 彼は 一行を 池袋の防災館(消防のMuseum)へ
案内しました。その様子が 今朝 何チャンネルか 忘れ
ましたが、テレビで 放映されました。ほんの1分くらい
だったですが、ドイツ人が 震度6を 体験したり 消火器を 
実際に 使ったりする場面が でました。
公立の施設だから 入場料 安いでしょうし、ドイツ人好みの
企画だと 思います。

Jappさんは 市大在学中 アパートから 大学まで 電車賃が
もったいない と言うて 馬のような速さで 1時間近く 歩いて
通っていました。
その丈夫な人が 「添乗員は 寝るヒマも 食べる暇も あまりなく
くたびれ 果てる」と 東京から メールを くれました。
よほどの 重労働なんでしょう。
11日は 日光へ 行ったそうです。
  


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2007年10月12日

カッコーは地球温暖化で託卵しにくくなった

自然保護連盟NABUと バイエルン鳥類保護連盟は 
カッコーを 2008年の鳥にすると 発表した。
カッコーは 越冬地のアフリカの生息地が 危険に 曝されている
ように ドイツでも その生息地が 脅かされている。

慣れ親しんだ声が 聞こえなくなるとしたら 寂しい。

ドイツで カッコーの総個体数は 60年代の 中頃から
減ってきた。この10年で 多くの州で 20-30%減った。
北東部の エルベ河の支流 Spree河沿いの森では まだ
遭遇率が 高い。

カッコーの卵を 代理で 温めて育てる 「寄主鳥」
(Wirtsvogel)は 地球温暖化 気候変動の せいで、
早くに 卵を産む。しかし カッコーは 長距離の渡りをするため 
渡りの時期は おおむね 以前のままである。そのため 
カッコーが卵を 生むときに、「寄主鳥」の巣で 子育てが 
終わっている こともあり、カッコーが いい寄主鳥の巣を
見つけるのが 段々と 難しくなっている。

★(カキコミ人の蛇足:そう言えば この5月に ホトトギスの
声が 聞こえなかった。毎年は その頃 夜に 上空を 東へ 
向かって 鳴きながら 飛ぶのに)

下記サイトから:
http://www.n-tv.de/861952.html

   


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2007年10月11日

施設を巡り最後に少年院に行く以外の道はなかったのか@ドイツ

マヌエルは母親に施設に入れられたのは9歳の時だった。
その後 8年間に 10の施設・グループホームを たらい回しされた。
ついにハンブルクで 最も危険な少年ギャングとして 新聞の大見出しになった。
母親も 役所も 無力だった。なおざりにされた 少年支援政策の結果だった。

教育しにくい子どもが 犯罪者になってから やっとドイツの役所は 
行動をおこす と ベルリンの社会事業カトリック単科大学の教授・
少年の権利の専門家 Christian Bernzen は言う。
児童青少年援助システムは 崩壊の危機にあると ドイツの
子ども保護協会の会長は言う。
青少年関係の役所は 財政難で、人手不足である。政治は 
子どもの保護を まともに 受け止めていない。
2006年にドイツで 18歳以下の犯罪被疑者は 278447人いる。
その内 67000人近くは 傷害罪である。ベルリンで しばしば 
警察に捕まった青少年は 429人で、ハンブルクは 650人だった。
マヌエルはその内の一人。

マヌエルは 1989年生まれ。既に 両親は 離婚していた。
父親は エクアドル出身だった。父は 養育費を 払えなかったので 
母親は養育扶助を受けた。その後 母は 掃除婦として働いた。
少年局の書類によると:
マヌエルは 母親から 酷い虐待を受け、酷いトラウマを負った。
乳児期から 母親の彼氏から 多くの暴力を受けた。3歳の時 
2階の窓から落ちたか 落とされた。極度の養育放棄だった。

しかし 当時の少年局は そういう状況を理解できなかった。
役所の介護人は 一度も マヌエルと母親を 訪問していない。

マヌエルは 4歳半の時 手首を切るか 電車に飛び込もうかと
思った。この危機的な時期に どもるように なった。
保育担当者を殴った。母親は 養育相談所へ 行くと 約束したが、
母は そこで 相手にされなかったと 主張している。
段々と 彼の 行動は 激しくなった。幼稚園で 先生を 
ナイフで脅した。学校へ 入ると 同級生から盗んだ。
授業は よく休んだ。先生は 母親に 手紙をかいて、
マヌエルは 嘘をつき、盗み、腕を振り回すと 伝えた。
家で 殴られて いるとは 誰も 気が付かなかった。

9歳の時 教会のガラスを 叩き割ろうとして、警察は 彼を確保した。
殴られるから もう 家に帰りたくないと 警察に 言ったが 
それでも 警察は 彼を 家へ 戻した。ところが 母親は 
彼を受け入れなかったので 彼は 施設に入った。
その時 少年局は 里親を見つけようと したか どうかについて 
役所は 答えない。

施設で マヌエルは 日常活動を マヒさせた。屋根に登り 
飛び降りると脅した。夜は何時間も 職員は 彼のベッドの 
そばで 寝入るまで 付いていなければならなかった。
後で 彼は職員に 語ったところによると、家では 
暴力しかなかった。耐え難かったので 死にたかった。

少年局は 問題児を 田舎の施設に 送りたがる。
田舎で 落ち着いて 暮らすという 理屈である。

マヌエルは 別の施設に 送られ そこで 一人の女性職員を 
信頼するようになる。どもりも 無くなった。12キロ太った。
毎日 学校へ 行くようになった。それは 14歳まで続いた。
その職員が 退職を申し出たと 聞いて マヌエルは 頭にきた。
車の修理工場へ 押し入り 車を盗んだ。現行犯逮捕され 施設は
追い出された。
母親は 彼を受け入れなかったので 2004年に 治療教育施設へ 入れられたが、
8週間で追い出された。難しい少年は 施設を たらい回しされる。
たらい回しは 金が かかるだけで、何の効用もない。
ケースワーカーは 子どもへの援助の計画を 考えなければならない。
援助計画の中には 里親のもとでの 養育も 選択肢として 含まれる。
しかし 2004年5月に 共同グループホームに入れられることになった。
半年そこで 暮らした。殴り合い 家具を壊し 職員を侮辱し 
自殺すると脅した。
2004年10月に 教会の献金箱をこじ開けようとして、
オルガン奏者に見つかり 捕まった。
共同ホームの屋根に 登って 石を投げ スコップで 責任者を脅した。
入所者の一人の少年に ビニル袋の中に ウンチさせて その袋を振り回した。
それで また 追い出された。2004年11月にハンブルクに戻り 
2005年1月にハンブルクの共同ホームに入った。
そこで 2室から成る一区画を 与えられた。
彼は ニコというケースワーカーを 信頼するようになり 久しぶりに
気持ちよく生きられた。その時 15歳。「それまでに 経験したなかで 
一番よかった」と 少年局の職員に 話していたが、それでも 学校へは
行かないし、うろつき回って 犯罪を犯した。
もう一人の教育困難少年と 一緒に 家に押し入り 33万円の
ディスプレイを盗んだ。この頃 彼は10回以上 警察に通報されている。

マヌエルはまた 別の少年ホームに移った。
2005年7月に 16歳の誕生日の直前に スポーツカーを襲った。
拳骨で車の持ち主に 殴りかかり、キーを奪った。車を始動
できなかったので 逃げようとした。通行人が 彼の前に 
立ちはだかったので 殴った。その後 逮捕された。
精神科医は 彼を 隔離施設(少年刑務所)に入れることに
賛成した。家庭裁判所は 彼を 少年刑務所へ 入れるように
命令した。すべての援助が 失敗した時 ハンブルク市は 少年
犯罪者を 人の背よりも高い塀の中に 入れることに している。

マヌエルの母は 彼を少年刑務所に入れることに 同意した。母は
向精神薬を使うことにも 反対しなかった。

なぜ 幼い頃に 殴る母親から 養育権を 取り上げなかったのか
は よく 分からない。

少年刑務所で 彼は 誰とも 接触が なかった。職員や入所者を
脅し、騒いだ。「檻の中に 入れられているような 気がした」と
彼は 後で 言った。
監視付きの外出の時 どこかへ 逃げ、4週間後に 自分で戻って
来た。戻って来るのと 引き換えに 「自由に外出できる ように
なって 外で 実習をしたい」という要求をした。

「外国人労働者の市民活動グループ」が 職業準備教育を 約束
したが、社会福祉の役所は 認めなかった。彼は グループで働く
能力はないし、人を脅し 暴力的幻想をもっているから という
理由だった。
それで 少年刑務所に留まることになった。

2006年5月に 彼は虫垂炎で手術した。ホームの職員が 彼を
病院へ 連れて行った時 彼は 騒いで 警察が来た。
手術後 かってに 退院し、ホームに戻ったが 傷が開いてしまって
精神科の 閉鎖病棟に入れられた。
その2-3日後 少年局は 彼を 別の 施設に入れた。

6月に別の事件で ハンブルク裁判所に出廷した。
ハンブルクの高層ビルにある 少年支援アパートに彼を収容
することになった。
そこでは 時間単位で ケースワーカーは 来ては 去り、
夜のあいだ 彼は 一人だった。

彼はある男と一緒に ほっつき歩いていた 9月のある夜
2時頃 バスに乗ったところ、Stephanが 座っていた。Stephanが 
バスを 降りた時 彼らも 降りて マヌエルの連れの男は
威嚇射撃用のピストルを Stephanに 向け、携帯電話と金を
出せと 脅した。マヌエルは バスに備え付けの 緊急用
ハンマーで 殴りかかり 倒れたStephanの 両膝を ハンマーで
たたき 両足を骨折させた。

この事件は 大見出しで 新聞に報じられた。
マヌエルの母親は 謝礼を とって 取材に応じた。
母親は 知的な印象を与えた。何とか暮らして いくのに
掃除婦として働くのでなく、別の人生が あったのではないか
という気持ちにさせる 雰囲気を もった女性だった。
彼女は 言った:「父は アル中で いつも 殴られていた。
父にも 男(夫?複数)にも 殴られていた。」
まるで 天気が悪いとか 良いとか 言うように 淡々と
話した。息子 マヌエルについて 「厳しいことを 言うようだけど、
もう 何の愛情も感じない」。
しばらく 間をおいて 付け加えた「ペットを飼っていて 今は
ペットのために 生きてます」

永続的な準拠人格(特定個人の 人格形成において 規範・準拠
の役割を果たす人物)(レファランス パーソン)のもとに
この少年を 置くのでなく、この子を 移動サーカス団に 入れた
のではないかと ハンブルク市議会の 議員は言う。

マヌエルの弁護士は 言う:「役所は この少年を 幼い頃から
拒否してきた。彼を 助けないで 管理しただけだ。そういう
無思慮が マヌエルのような 犯罪者を 生む」。

Stephan 襲撃事件によって 彼は 2年の刑に服する。
事件から もう 1年以上たって 刑期はあと1年。
母は 面会に来ない。50ユーロ(1ユーロ=160円)を送ってきた。

侘しい面会室で 記者の問いに 答えてくれた。
人生で 何が うまく行かなかったか? という問いに
答えた:「母は いつも 働いていて ヒマがなかった。
いつも 男を 取り替えていた。いつも 殴られた」
「将来の計画って? 十年たったら、娼家を 開きたい。
堅気の道は もう 行けない」。

下記サイトから:
http://www.stern.de/politik/panorama/:Kriminalit%E4t-Endstation-Jugendknast/599539.html

★ 上記と同じカキコミが 別のブログに出ています。
管理人が 同じなので 盗作でないです。
  


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2007年10月09日

曽野綾子さんビルマについて語る

ミャンマー軍事政権は管理を強めている
政府は 水面下で脅すようになった。取り締まりの厳しさを
国民に見せ付けているが 抗議は 完全には やまない。
しかし 反対派の アウン サン スーチーが 解放される 
希望は 少なくなっている。
ドイツ政府は スーチーの釈放と 今回の抗議に参加したために
逮捕された人々の解放を ミャンマー政府に 要求した。

下記サイトから:
http://www.dw-world.de/dw/article/0,2144,2813208,00.html

○ ドイツのメディアでは ミャンマーでなく、 ビルマです。

★下記は 2007年10月8日
産経新聞の 記事
曽野綾子さん 「透明な歳月の光」 第261.

"ビルマ~貧しさ故に見えるもの
豊になると 失う心"

から抜粋。

シンガポールに滞在中の或る日曜日、夫は一人で教会へでか
けて行った。私は怪我した後の足が腫れて、その日は欠席した。

 一時間半ほどして夫はにこにこしながら帰って来た。シンガ
甲ルの「濡れ米通り」と呼ばれる道に面したカテドラルは古
い建物で、天井に扇風機が回っているが、いつもミサには千人
近くが出席し、その四分の一はフィリピンから来た出稼ぎの
メイドさんたちという感じである。
二年に一度くらいしか帰れない故郷には、年とった両親や
子供たちを残して来ている。
会えない間の家族の無事を祈るのは、教会で神に頼むしかない
のだ。だから教会の中には、庶民の悲しみも生きる意欲もすべて
が生き生きと漲っている。
 
(中略)

 今日の神父の説教は次のようなものだった。
ビルマでも貧しさがさまざまな問題を生んでいる。
故に貧しさは是正されなければならないのだが、
しばしば現世で豊かだった人は、貧しく苦しむ人のことを
思いやる行為もしないし、神を信頼する心も
持たなくなる。
貧しく苦しむ人は、貧しさ故に神(真理)を見ようとする気持ちを
持つが、豊かになるとその心を失うこともある。
そうした人間の心の変化をよく知った上で、やはり貧し
さは克服し、現実には貧しい人たちのために何をしなければな
らないかを、真剣に考えるべきだ、という内容だった。
「ビル
マについての説教は、なかなかよかったよ」と夫は嬉しそうで
あった。
  


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2007年10月08日

リタリンの濫用・薬漬けの社会

攻撃的で 身体を落ち着き無く動かし 
集中できない子どもが増えている。
青少年精神科医は すべての子どもの 1/5は 
風変わりだと 警告している。
特異な子どもの 親の多くは 最後に リタリンなど 
塩酸メチルフェニデートを含む薬に 頼る。これは Speedの 
ような アンフェタミンの一種で 麻薬法に 記載されている
薬である。
ドイツの学校では ADHS 注意欠陥多動症候群のために 
リタリンと Coが ずっと前から よく使われている。
この3年で その使用量は 30倍に なった。
ADHSの 専門医で 児童青少年精神科医 Holmut Bonneyに 
よると 行動に特異性のある 子どもを ADHSだと簡単に 
片付けてしまう傾向がある。
薬を投与すれば ほとんどの子どもは 静かになるが、
子どもの問題が 解決された わけではない。

たとえば 9歳のマルテは すべての友達をなくした。
一人で居るしか なくなった。教師は 母親に なんとかしろと言う。
それで 小児科医へ 連れて行ったら ADHSと 診断され 
薬を 飲んだところ、不運な 結果になった: マルテは 大変 
憂鬱になり、走ってくる車の前に 飛び込みたくなった。夜は 
ベッドで 学校へ 行くより 死にたいと言った。薬は 夜に 
効き目が 衰えるからである。
朝になって 薬を飲むと 何とか やっていけそうに 
思われて それで 学校へ行って ちゃんと やってくる。
しかし 1日の うちに 浮き沈みが 激しく 脳が トランポリンに 
のって 飛び跳ねて いるように 思われて 薬を飲めなくなった。
結局 マルテの場合 誤診だと 分かった。マルテは 
ADHSでなくて、非常に天分の豊な子であり、それに 
見合う高度な教育が されていなかった だけだと いうことだった。

高校卒業資格試験受験者が 筆記試験のために 
薬を 医者からもらって 飲むこともある。
この薬 リタリンは ADHSの子どもを 助けるはずだったのに、
青年に人気が でて 合法覚醒剤と 呼ばれ 濫用が 
問題になっている。
下記サイトから:
http://www.heute.de/ZDFde/inhalt/1/0,1872,7006977,00.html
  


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2007年10月08日

ミャンマーでインターネット接続再開

ミャンマー政府は 10月5日から 夜10時~明け方4時の
6時間だけ インターネット接続を 開始した。
しかし ブログは 禁止されている。
下記サイトから:
http://dathana.blogspot.com/

★ という事は ミャンマーから 外国へメールを 送り 
そこで ブログに のせたら いいのでしょう。
上記のブログは アメリカへ亡命した ミャンマー人の
ブログの ようです。
  


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2007年10月07日

非ノーベル賞

ふざけた興味深い発明に送られる イグノーベル賞の
授賞式があった。
日本人は 化学賞をうけた。牛のウンチから
バニラの香を抽出した業績による。

それ以外に:
バ○ア○ラは 時差ボケに効く可能性があることが 
分かった。
少なくとも ハムスターに これを投与すると、時差ぼけの後
自然のリズムに戻るのに 有効だった。これを発見した 
アルゼンチンの学者も 受賞した。

大半の受賞者の業績は 日常生活の 周辺にある事柄の
研究である。たとえば 生物学賞を うけた オランダの学者は 
オランダのベッドに住む 虫・蜘蛛・ダニ・真菌・細菌を調査した。

人文科学の業績として バルセローナ大学の学者が受賞した。
その研究で 下記のことが 分かった:
日本語を 逆から読んだのと オランダ語を逆から読んだのを
ネズミ(ラット)に 聞かせたところ、ネズミは 両言語を
区別できなかった。(あたりまえ や ないかいな)

文学賞受賞者は オーストラリアの Glenda Browneさんで
その業績は 図書館・文書館の 作業を 変革する可能性がある。
「the」という 英語の冠詞を 索引や アルファベット順リスト
の中に 適切に 入れるという 大問題を 詳細に 研究したのだ。

受賞者の中で 例外的に 授賞式に欠席したのは 
平和賞受賞者で、彼らは アメリカのデイトンにある 
空軍ライト研究所に属している。その業績は 化学製品の
開発であり、この物質を 投与されると 兵士は 互いに 
嫌悪を感じたり あるいは 突如 お互いに好きになる
気持ちを抑えられなったり する。

台湾の Kuo Cheng Hsienも 授賞式に来なかった。
居場所が分からず、招待状を届けられなかった。
彼は 経済学賞を 受けるはずだった。
彼の 2001年の特許 「銀行強盗に 網を 打ち掛けて 
捕まえる方法」が 高く評価された。

下記サイトから:
http://www.stern.de/wissenschaft/natur/:Skurrile-Nobelpreise-Viagra-Hamster/599516.html
  


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2007年10月06日

欧州の諸言語/少数派言語・外国語学習など

ある言語は 百分率から見ると 少数派と みられるが、
話し手の数について考えると 価値があると思われる
言語もある。たとえば スペインのカタロニア語である。

少数派の中には ほとんど死んでいるのもある。
北ドイツの フリース語や東ドイツのソルビア語が 死にそうだ。
欧州の言語の 半分は 絶滅の危険がある。

言語は 話し手の社会のもつ文化を 運ぶものであり、
その喪失は 文化・知識の消滅を意味する。
人々から その言語を 奪い去っては いけないのだから、
言語の多様性を支持すべきだ。
エリートがロマンチックに美化したいだけで 
言語を守ろうというのは賛成できない。
言語保存の 措置は 話し手を抜きにして 
計画されては ならない。
話し手が その言語の価値を 認めることが 
大事であり、話し手の要求を受け入れなければ 
ならない。

ある言語から 別の言語に 替えさせるのは 
とんでもない ことだ。

外国語学習については 地域によって 考え方が 違う。
ドイツでは 外国語学習は 公式の文化プログラムの
一部になっていて、学校でも そうである。
とは言うものの、ドイツでも 一言語しか 話さない人は多い。

一方 フランスや東欧では 外国語学習に それほど 
熱心ではない。東欧では 昔 ロシア語が 圧倒的に優位だった 
ため その反動で 今は 母語だけで いいと言う 気持ちが強い。

下記サイトから:昨日のカキコミの続き
http://www.dw-world.de/dw/article/0,2144,2794618_page_2,00.html
  


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2007年10月05日

欧州大陸で200以上の言語が話されている

欧州言語会議の 目的は 欧州での 言語と文化を
評価することである。
これについてドイチェヴェレは ミュンヘン大学の 
Wolfgang Schulze教授にインタビューした。

欧州大陸で 200以上の言語が話されている。
最大のグループは インドゲルマン語族で、ゲルマン語 
ケルト語 ロマンス語 バルト語 スラブ語 アルバニア語 
ギリシャ語 アルメニア語に 分けられる。
2番目に大きいグループは フィン・ウゴル諸語。
それからトルコ語がくる。

西部・南部コーカサスには インドゲルマン語でない言語が
話される。その中に入るのは グルジア語やチェルケス語である。
どのグループにも属さないのは バスク語や グリーンランド語である。

欧州は 言語の多様性の点からみると 目立つ地域ではない。
たとえば パプアニューギニアには 約900の言語が
 話されている。
ドイツ語を話す人は 8000万人も いるが、バルト海地方の
フィンランド諸語を 話す人は 百人くらい。

一つの言語が 十前後の方言を 持つとして 欧州には 
2千の方言がある。
フランスとイタリアは 方言の最も多い地域である。

最も言語の多いのは ロシアで、アジア地域も はいるから 
言語は200を越える。
西欧では 英国 フランス スイス イタリア ドイツは 
言語が多い。ドイツの場合は 移住者が多いからである。

ドイツには 約15の「古い言語」がある。これは 60年代に
移住者が来る以前の言語である。「古い言語」には 
デンマーク語とソルビア語が 入る。
他に バイエルン語や ケルン語のような 「主な方言」がある。
移住者の言語を 入れれば ドイツで 約50の言語が 
話されている。

古代ギリシャ・ローマ時代に 既に 多くの言語は 絶滅している。
ローマ時代に ラテン語に代わられた イタリアの多くの言語を 
考えて見れば分かる。
少数派の言語を 話すことは 古代ギリシャ・ローマで 奴隷に
押された焼印の ようなものだと 見做される こともある。
田舎の言葉は 現代的でないと されたりする。
 
国家の言語と 民族の言語は しばしば 同じだと 見做され、
少数派の言語は 国家の統一性を 脅かすものと 
考えられることもある。
その結果、ある言語を 公然と使うことが 禁止されたりする。
たとえば フランスで 昔 バスク語 ブルターニュ語 
アルザス語は禁止された。

下記サイトから:
http://www.dw-world.de/dw/article/0,2144,2794618,00.html
第2部は 明日カキコミます。
  


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2007年10月04日

ミャンマーのブロガーKo Htikeのインタビュー

ロンドンから一人のブロガーが ミャンマーについて
最新の情報を伝えている。
以下は ドイツ・メディアZDFの 彼へのインタビュー:

9月28日朝8時半ころ ミャンマーでインターネット接続は
切られた。
デモができなくなり、世界が こういう抗議について何も
知る事ができなくなると、軍はやりたいように やることになる。
もし ある人が ミャンマーで ロンドンのKo Htikeへ 
抗議についての情報を 送っているということが 軍に 
ばれたら、軍は その人を どこかへ連れ去るだろう。
それでもなお、危険を冒して Ko Htikeに 協力しようと 
情報を ロンドンへ 送るのは 母国を 思うからだ。
母国は 40年以上 軍事政権のもとで 苦しんでいる。
今 何か しなければ、次の世代も 苦しむことなる。
Ko Htikeは ブログによって 母国に貢献できると
思っている。軍事政権が 倒されたら 国に帰るだろう。
下記サイトから:
http://www.heute.de/ZDFheute/inhalt/31/0,3672,7068127,00.html
  


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2007年10月04日

ミャンマーのための国際ブロガーの日

きょう10月4日を 標記の日にすると Free Burma.orgは宣言した。
Free Burma. org の サイトを あけたら 日の丸の旗が どこかに
見つかります。旗をクリックすると 日本語の短い説明が でます。

Free Burma. org:
http://www2.free-burma.org/index.php
下記ブログから:
http://www.ko-htike.blogspot.com/  


Posted by jtw at 08:40Comments(0)

2007年10月03日

ミャンマーの軍事政権から少数民族はジャングルに逃れる

ジャングルの逃亡者野営地で 少数民族の戦いは 続く。
UNHCRによると ミャンマーからタイへ逃亡して人は 
国境近くに約14万人いる。
しかし ミャンマー国内にも 自国の軍隊から 
逃れて生きている人が 数十万人いる。

Ee Htu Hta 村は 北部タイとの 国境の川沿いに ある。
そこの逃亡者野営地に カレン族 約3600人が 住んでいる。
男は 武器をもち ミャンマー軍の攻撃に 備えている。
元の村は 政府軍兵士によって 破壊された。
カレン族の入植地に ダムが建設される予定なので 
軍は武力で住民を 追い出した。

ジャングルの中の 野営地には 幼稚園 学校 病院 
教会もある。カレン族は たいていキリスト教徒である。
千人の子どもが 学校へ通っている。学校で 英語 
ビルマ語 歴史 地理 数学 カレン語を 教える。
今度の 騒乱のお陰で 外国からの軍事政権への 
圧力が 強くなり、カレン族の 状況も良くなるだろう
という 期待もある。
野営地では 簡単な竹の小屋に 住んでいる。
飲み水は 苦労して 運んでくる。
平和になったら 元の村に帰りたいと 皆 思っている。

少数民族のうち シャン族は ミャンマーの国民だとは 
思っていない。すぐにでも 自分達の独立国家を
造りたいを 思っている。

軍事政権は 事態を武力で掌握しようとしている。
武力を頼みとする 政府にとって ラングーンのデモ
参加者はどうでもいい 問題だ。
下記サイトから:
http://www.tagesschau.de/ausland/fluechtlingebirma2.html
  


Posted by jtw at 12:41Comments(0)

2007年10月02日

ミャンマーの情報封鎖/インド経由で情報発信

ミャンマーからの 報告・写真・ビデオは ニューデリーに
集まりそこから 世界へ流れる。
その情報集積所は Mizzimaというブログで 
亡命ミャンマー人が運営する。代表者はMung Pi。

バンコクにも ミャンマー情報は 集まる。ニューデリーは
第2の ミャンマー情報集積所である。

インターネット接続は 部分的に切断され、電話は通じない。
しかし 新しい技術のお陰で 情報は 外へ流すことができる。

Mizzimaの 編集者18人の主な仕事は 情報をブログに
公開する前に 点検することである。
運営資金は ジャーナリスト協会・NGOs・個人的寄付から出る。

Mizzimaは ニューデリーの 貧しい地区 Vikas Puriにある。
その地区に 1800人の 亡命ミャンマー人が 住んでいる。
インドの政治的立場は 矛盾する。一方では ミャンマーから
亡命者を 受け入れ、他方では ミャンマー政府に反対する人々に
苦情を言い、ミャンマー軍事政府に 武器を 売っている。

Mizzma の アドレスは:
http://www.mizzima.com/

下記サイトから:
-shttp://www.tagesschau.de/ausland/birma232.html
  


Posted by jtw at 11:20Comments(0)

2007年10月01日

ミャンマー・近東などのブロガー

金曜日に ミャンマーの軍事政権は インターネット接続を切断した。
これで ニュースサイトやブログは 死んだと軍は 思ったようだが、
ロンドンにいる 亡命ビルマ人 Ko Htike のブログは 
金曜夜に 再び 故国のニュースを伝えた。地下ネットワークは
死んでいない。

ブログと インターネットについての 評価は 「アホの遊び場」
という 最低の評価から 「既存のメディアに 独裁政権の
していることを 提示するための 重要な制度」という高い評価の 
間で ゆれている。

先進国のブログには アホなのが 多いとは言え、
近東 アラブ諸国 中国の 若い人は ネットを 自国の状況を
報告するために 使ってくれている。
ネットは 既存のメディアへの検閲に 反対する強力な武器になっている。

イランでも インターネットの技術の進歩と 独裁的世界観は 
対立している。現在 イランに 4万-11万のブロガーが いる。
イラクでも 何人かの ジャーナリストは ビデオ日記で 
バグダッドの状況を 報告している。
国境を超えて活動するプロジェクトもあり、
Blog Mideast Youthは
アラビア人 イラン人 クルド人 イスラエル人の学生が運営する。

しかし アフリカの大部分で インターネットは 機能していない。
スーダンの 危機的な Darufur に ブロガーはいない。

政府に批判的な ブロガーを 束ねようとする 試みは 
Initiative Gobal Voice という 組織で、これは
独裁国家の情報独占を 侵食し 人権侵害を 記録しようとしている。

下記サイトから:
http://www.sueddeutsche.de/,tt9m3/kultur/special/473/101372/index.html/kultur/artikel/797/135534/article.html
  


Posted by jtw at 12:56Comments(0)