2006年10月20日

カルシュ博士伝記/若松教授から

小生の仕事とは全く関係のなかったカルシュの調査を始めてから7年を超えますが、カルシュは信じられないほど、多くの偶然が重なって、巡り会った小生にとって不思議な人物です。調査に協力してくれた同博士の愛弟子も何人かを除いて、すでに他界してしまいした。彼らの残してくれた言葉や手紙を時に想い出す今日この頃です。ドイツの文化と風土に、若き日に触れる機会をドイツから与えられた小生がドイツの小さなホテルでカルシュ博士の次女に偶然に出会って、この仕事に携わることになったのは、小生に賜った天命と考えておりました。

皆さんのなかには既にご存知の方もおられるようですが、カルシュゆかりの松江奥谷町の「官舎」の保存とカルシュ記念館への7年前からの呼びかけがやっとも実ることになりました。調査の結果ともに、数々の新聞報道、NHK松江放送局の展示会、インタビューのお陰で、やっとカルシュのことが世の中に少し知られるようになったからでしょうか。それが、最近のNHK松江放送「しまねっと ドイツ人教師の住宅を保存へ」と進展したわけです。島根大学も文化財登録の申請を先ごろ行ってくれました。それゆえ小生が預かっているカルシュの遺品(膨大な哲学の未発表原稿、写真、絵画、調度品など)もやがてそこに収められるものと期待しております。

 カルシュには現代の教育に大きく影響を及ぼしている人智学哲学者ルドルフ・シュタイナーを日本に紹介した大きな業績があります。一般には戦後に紹介されたと言われていますが、1925年に来日したカルシュ夫妻が恋人時代に交わした1923年当時のシュタイナーに関するノートが現存し、スイスのゲーテアヌムでのシュタイナー信奉者同士の交流も確認されております。なおシュタイナーの思想の流布については、昭和10年ごろを境にヒトラーによって禁じられましたが、密かに日本の中で広めておりました。自らの娘にはもちろん、全国的にシュタイナーの思想を実践を通して広めたことが知られています。戦後これが復活して、シュタイナー学校が創られ、最近は一貫教育の象徴となっており、教育史上、哲学史上カルシュは重要な位置を占めていることが確かです。黒柳徹子氏が受けた教育もこの範疇に入るかと思いますが定かではありません。また多くの宗教哲学者(三笠宮崇仁殿下、西田幾太郎、鈴木大拙、高橋敬視、長屋喜一)との交流も確認されております。さらにカルシュが当時の高校生への講義のなかで、西暦2000年頃、ヨーロッパ文明が自己矛盾から他との軋轢が各所で生じること語った注目すべき記録を見ることができます。

昨年は、ドイツの独日協会が日本の日独協会とともに、ドイツ年を祝してベルリンで発行した466ページの書籍「日独文化の架け橋を築いた人々」で、偉人30人の中に森鴎外らとともにカルシュが採り上げられ、しかもその先頭に掲げられたことにより、公式にドイツが彼の功績を認める運びとなりました。
小生は自然科学者の末端の者として、事実のみを後世に残したいとの一念からこれまで調査をしてきました。それは同時に、調査に協力してくれた、すでに他界した人たちの願いでもありました。そういう意味からも、公共性の高い出版社が企画協力してくださればと思っていました。

ところで、昨年は「カルシュ 忘れ得ぬ偉人」+「80年前の出雲の地」+「心に残る思い出」に分けて、現在への彼の影響など、カルシュに関する正しい記録を「四ツ手網の記憶」として約270ページにまとめました。題目の『四ツ手網の記憶』は《時の流れに運ばれた諸々の事実が網にかかり、それが今に至るまで保存され人目に触れることになった》ことを意図するものです。すなわち、『四ツ手網の記憶』はカルシュが好んで散歩したり、パステル画にも描いた、松江の象徴でもある宍道湖や中海との間をつなぐ大橋川で、地元の漁師が流れに逆らって水中にかけた網に獲物がかかり、今に伝わることを念頭に置いて名付けた題目です。

なお、カルシュの残した画集、写真集、その他学問的な著述も将来にはシリーズとして出版できればと思っています。関係筋が企画としてとりあげて、松江の誇る偉人として顕彰するとともに、奥谷の家を文化財として松江のみならず、カルシュが全国に知られる存在になることを願ってやみません。

追 記 カルシュの親類には1937年ショパンコンクールで優勝したピアニストであり、チェンバリストであるエディット・ピヒト・アクセンフェルト(フライブルク音楽大学教授)がおります。彼女には多くの日本人弟子がいます。また、モラクセラ・ラクターナ菌を発見した、現在の日本の眼科学に大きな影響を及ぼした世界的なテオドール・アクセンフェルト博士(フライブルク大学教授)がいます。なお、現在ベルリンの博物館に歴史的重要資料として厳重保管されている「ヒトラーの行動記録(16ミリ)」を戦後ミュンヘンで押収し、保存していたのが長女メヒテルトの夫ヘルベルトです。ライン川流域のセイント・ゴア(ドイツ語でザンクト・ゴア)市の200年前の富豪で市長を努めたラツァルス・セイント・ゴアは彼の祖先です。当時の宗教上の功績から聖ゴアのように聖(セイント)の称号を授与されています。 最近、顕彰されて子孫がドイツから大歓迎を受けました。また、メヒテルトの母方の祖先が聖職者(未確認)ということでもあります。
カルシュには戦後活躍した多くの著名人を育んだだけでなく80年前の出雲の地の貴重な記録を後世に残した功績、さらに自身について多くのことが語り継がれる松江の誇るべき偉人であります。現在彼の薫陶を受けた長女はアメリカでシュタイナーの人智学の中心人物として、ドイツ語から英語への翻訳を行っています。また、次女フリーデルンは戦後のドイツマールブルクのシュタイナー学校(自由ヴァルドルフ学校)出身で、マールブルク大学で学位取得後には、同学校でシュタイナー教育に永年携わり、定年後の現在も継続活躍しています。そして、直接彼女から二代にわたって教育を受けた日本人にも辿り着くこともできるほど、カルシュの影響の拡がりを世界中にみることができます。
                      

                                     東京医科歯科大学 若松秀俊

★上に言及されている カルシュ博士伝 「四ツ手網の記憶」(未出版)を 若松教授から メールで 送って いただいています。お読みになりたい方は 当方へ ”カルシュ博士伝希望” というメールを お送りください。折り返し 転送いたします。なお 迷惑メールが 多いので コメント欄に”メール送った”と書いてくだされば 気を付けてメールを あけます。★

  


Posted by jtw at 12:49Comments(2)